『祈る教会』

新・祈りのコラム(8)

月刊アッセンブリーNEWS  2014年12月号

福山キリスト教会
(現在・人吉キリスト教会に転任)

北澤成弘
Shigehiro Kitazawa

祈る教会

「こうして、ペトロは牢(ろう)に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」(使徒言行録12章5節:新共同訳)

 ある兄弟が、代表の祈りの時に「祈る教会となりますように」と捧ささげて下さいました。この祈りを耳にした時、私は不思議と励ましを受けました。「祈る教会」となることは、私にとっても大きな願いであったからです。

 神様は御心に適う祈りを聞いて下さることを確信しています。私は神学校を卒業した初年度に遣わされた北海道の教会で、そのことを改めて体験しました。ストーブや車、冷蔵庫といった生活に必要な物が十分に揃そろっていなかった教会に遣わされた私は、教会の信徒と共に祈るところから始めました。神様は様々な方の尊い捧げものを通して、祈り求めた全てのものを与えて下さいました。私たちの必要を全て御存知であったことを改めて知ると同時に、地域のために祈ることをしていなかったことが示されたのです。私たちが、その地域に遣わされた目的は、地域の祝福と救いを祈ることであると自覚し悔い改めました。「この地を祝福して神様の御栄光を現して下さい。救いの光がここにあります。」神様は傷つき迷っている魂を送って下さいました。

 ペトロが牢に閉じ込められていた時、教会の兄姉たちは熱心に祈りました。教会の兄姉が心を合わせて1人のために祈り、また地域の祝福と救いを祈ることを大切な働きとしていきたいと思います。