『主に出会うことに

 飢え渇いて』

新・祈りのコラム(13)

月刊アッセンブリーNEWS  2015年 5月号

アッセンブリー新潟キリスト教会

土屋 康
Yasu Tsuchiya

主に出会うことに飢え渇いて

 エルサレムの贖(あがな)いを待ち望み、宮を離れず、昼も夜も断食と祈りをもって神に仕えていた女預言者アンナは、私がめざす器の一人です。老齢になるまで祈りに仕え、祭壇の傍(かたわ)らを愛した彼女の生き方を目標としたいと、還暦を越えた今、いよいよ心に思います。

 ルカ2章に登場するシメオンはイスラエルの慰められることを切に待ち望んでいましたが、彼女は同様に、救い主として誕生された幼子イエスに出会い、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に伝えた者と記されています。ルカ2:37、38 - そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。 - 彼らは共に特別な恵みに与(あずか)ったのです。

 エレミヤ29:13、14 - もしあなた方が心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなた方に見つけられる。 - これは主の約束です。この約束のゆえに、私は信仰生活45年の歩みの中で、祭壇の傍らで祈り続けることを常に心がけてきました。確かに主は出会ってくださり、願うこと聞いてくださり、また主のお考えを悟らせてくださり、私の人生を今日まで導いてくださいました。本当に主は生きておられ真実なお方です。

 さらに私は主のみ顔を求めることに飢え渇いています。主が私に願っておられることをもっと知りたいと思わされています。そして、そのことが明確に教えられたなら、残された生涯をかけて後悔のないように応えていきたいと、切に思う〝今〟です。