新・祈りのコラム (14)

『異言の祈りは

宝です』

新・祈りのコラム(14)

月刊アッセンブリーNEWS  2015年 6月号

山形神召キリスト教会 (引退)

布施トシ枝
Toshie Fuse

異言の祈りは宝です

 私は受洗した直後にとても弱さを覚え、どうしても聖霊のバプテスマを受けたいと願いました。関東聖会に泊まり込みで出席し、祈り求めた時に、異言の祈りが湧き出るように口から流れてきました。あの感動は忘れられません。祈ることが楽しくなりました。

 今から30年前、主人はクモ膜下出血で倒れ手術をしました。CTなどの検査をしている時、県立病院の廊下で私は待ちましたが、大変なことになってしまったという恐怖感がみなぎり、祈ることばもでませんでした。沈黙が続きましたが、その後にかすかな異言が心の奥から湧いてきて、「わたしは、有って有る者、私に出来ないことがあろうか。」と言うことばを受けました。主人は集中治療室に移されたので私は家に帰り、告げられたことばを西洋紙に記して退院するまで53日間、主人の机上に置いておきました。異言の祈りが卓越していることを試練の中で知ることができました。聖書を通読して祈り、みことばを行なう繰り返しの中で、イエス様が共にいてくださることが分かってきました。

 私達は朝と夕方、会堂で祈りますが、主人は初めから最後まで異言で祈っているので内容は全く分かりません。黙った時は何かをメモしているようです。私も声を出して祈れることを感謝しながら、不正な裁判官の心を動かしたやもめに見習い、課題を挙げて求め続けております。

 異言の祈りは神様から与えられた宝ですから、口を開けばいつでも溢(あふ)れてくるようになりたいですね。 - さらに油注がれ、さらに力を受ける - ために「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ5章17節)と勧められています。