『祈り、期待し、
歩む』
新・祈りのコラム(15)
月刊アッセンブリーNEWS 2015年 7月号
山手町教会
大笹月江
Tsukie Osasa
祈り、期待し、歩む
朝の静けさの中で、主のみもとに導かれ、主の御名を崇め誉め讃(たた)え、御言葉をいただき味わう。主の御言葉はわたしを慰め励まし、希望を与えてくださる。祈るための力を注いでくださる。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」(ルカ11:9、10 新共同訳)
声をあげ言葉をもって主に願い求め、足を使い探し尋ね、手をあげ叩たたき求めよ。
執拗(しつよう)に求めよ。そうすれば与えられると主は言われる。
祈りと願いは速やかに、その言葉通りに叶(かな)えられる時もある。しかし、多くの場合、時を要する。祈り求めた時すでに、その祈りは天の父のみもとに届き聞かれている。主は与えるに良い、最善の方法とその時を定めておられるが、私達にはわからない。主がその業を成してくださるその時まで、私達に必要なのは忍耐である。
与えられないことを嘆かず、時の遅いことを呟(つぶや)かず、求め、尋ね、叩き続け主の御業を待ち望みたい。
その日その時、最も良きものを主は与えてくださる。その与えてくださったものが、本当に最も相応(ふさわ)しいものであると喜んで受け取ることのできる、最も良きものである聖霊を与えてくださる。ハレルヤ!
速やかに叶えられることは感謝であるが、叶えられず何年も祈り続けることができることも恵みである。練られた品性が備わるかも実験中である。
朝毎に祈り、祈られている恵み。主と友の祈りを背に受けながら、主が遣わしてくださるところへと私は、今日も喜び期待し出掛ける。
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