礼拝の中の賛美(10)

礼拝の中の賛美(10)

細井 眞  Makoto Hosoi(十条基督教会)

2001年3月1日発行 第546号

 ある教会は、土曜日の夕方にワーシップ・チームの人々が集まって日曜日にする賛美礼拝(Praise & Worship)の練習をします。日曜日には礼拝の始まる少し前に来て、楽器やマイクを整え音だしをします。時間がある場合は簡単なリハーサルをします。礼拝が始まり、賛美礼拝の時にワーシップ・チームは出てきて会衆と共に心をこめて自由に主への賛美をします。

 音楽学校時代、私はピアノを弾くのが大嫌いで、ピアノの先生をよく悩ませました。レッスンに来ているのに全然練習してきていないからです。時には練習していない為にレッスンを休むことさえありました。この先生は心が広いのか、あきれ果ててかわかりませんが、ある日こんな事を私に言ってくれました。「もし、ピアノが嫌いならそれは仕方がありません。レッスンの為に自分で練習できなければそれでもいいです。とにかくレッスンに来てください。そうすれば週に一度はピアノに触れることになります。もし、それさえサボるような事になれば、卒業できませんよ」と。ピアノの先生は、この為に私のレッスン時間を長くできるように配慮してくれました。
 
 もし、ワーシップ・チームのメンバーが嫌々ながら土曜日に教会に来て練習し、やっとの思いで日曜礼拝の奉仕をしているとするなら、どのような礼拝になって行くでしょうか。また、ワーシップ・チームはもちろん、出席する会衆が週の間に主を賛美し、主に礼拝をささげる事なしに毎日を過ごしているとしたなら、どんなにか大変なことでしょうか。礼拝の質は一向に上がらず、空回りすることにならないでしょうか。20分歌っても30分歌ってもなかなか会衆が引き上げられなければ、牧師もワーシップ・チームも会衆もみな疲れきってしまいます。
 私にとってピアノは副専攻でしたが、歌は専攻でもあり厳しく様々なことを要求されました。一番大変だったのがレッスンです。毎週レッスンがあるのですが、そのレッスンに必ず二曲から三曲の新しい歌を持っていかなければならなかったからです。しかもそれらを暗譜(暗記)して先生のところに行かなければなりません。暗譜していなければ歌を聴いてもらえませんし、数が少なければすぐに終わってしまうのです。そのため、私は毎日、新しい曲を練習し、ピアノがないところではイタリア語やフランス語の歌詞の意味を調べ、覚えました。他にも様々な学びがあったのですが、これを最優先にしました。車に乗っているときも、歩いているときも、他の授業の合聞を縫って練習しました。

 「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」
 ローマ人への手紙12章1節
 
 私たちがしなければならない礼拝は私たちのからだを日曜日だけささげるのではなく、神に受け入れていただく為に準備されてささげる必要があるのです。私たちが最優先しなければならないものは、私たち自身を日々の生活の中で整えていくということです。ワーシップ・チームと会衆とが礼拝者として毎日を送っていくときに、初めて質の高い、神の臨在溢れる礼拝をしていくことができるのです。