「祈り育てる!」

 生来、私は怠け者だ。朝はゆっくり寝ていたいし、夜は早く寝床にもぐりこみたい。そんな私が毎朝6時半頃に起きてお祈りするようになったのは、1983年5月17日からで、今年の5月がくると丸6年になる。

月刊アッセンブリーNEWS
1998年2月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

 「祈り育てる!」

 6年間、毎日毎日30分近くお祈りをしたのだから 余程祈れるようになったろう、祈りが身についただろう、と尋ねられると答に窮する。まあ、縄とびでも6年間も毎朝30分欠かさずに続けたら、これは大したもので、ビュンビュン飛べて二回まわしや三回まわしだって平気で出来るようになった。

 では、祈りはどうか。これがどうもまあ、あまり進歩がないようなので申し訳がない。ただ、最近家族の者たちから「お父さんは変った。おだやかになったみたい」と言われる。年のせいかなとも思う。が、どうもそればかりではなさそうだ。

 祈りは、自分で気がつくほどにはパッとはしないが、着実に、深く、人間の目に見えない水面下に変化を与える。祈り続けることはシンドイ事だけれども、なんとか工夫や努力をしてシンドサの向う側へ一日も早くたどり着きたいものだ。

 ミヤコ蝶々さんの趣味は、自宅の庭で野菜を育てること。朝、早く起きてきてトマトやキュウリ、ナスに水をやる。その時に必ず実行することがある。野菜に声をかけてあげることだ。「ようでけたなあ」「もうひといきやでえ」「よお咲いたなあ」そうすると野菜は身を震わせて喜ぶ。そして大きくなるのだそうだ。

 朝寝坊して10分しか祈れなくてもね、「今朝は10分も祈れたなあ」「えらかったなあ」と自分に励ましの声をかける。疲れてね、お祈りがおネムリになった時も、「疲れているのになあ、よく頑張ったなあ」と慰める。そうすることで、祈れない私が祈りの花を咲かせ、実を結ぶという不思議が生まれる。

 園芸研究家の江尻光一さんによると、江戸時代、植物には『かけ声肥をかけよ』といったものだそうだ。ひとが励まし、話しかけてあげるのがなによりの肥料という意味だ。

 私の祈りを育てるのは、私自身へのかけ肥である。

《執筆者》

大坂克典

山手町神召基督教会
(現・山手町教会)
牧師

2010年4月召天