「祈りは主のみ手を動かす」
私の体には百針の傷跡があります。それは虚血性心疾患のため、せまくなってしまった冠状動脈を足の血管をもってつなぎかえるという外科手術を受けたからです。
月刊アッセンブリーNEWS
1994年3月号掲載
月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。
「祈りは主のみ手を動かす」
あれは1989年9月12日でした。「普通手術の時間が十時間かかるなら、あなたの場合はそれ以上はかかるでしょう。手街が成功して集中治療室に移されても病室に戻れるのは三日以上かかるでしょう」と覚悟をさせられました。
教会では私のために断食の祈り、連鎖の祈りがささげられました。関東教区では合同婦人会が教団本部で行なわれる日でしたが、そこでも私のために特別に熱い祈りがささげられました。又この日、東海教区でも合同婦人会の席で同じ様に特別な祈りがささげられました。このように多くの祈りに支えられながら手術が行なわれました。
そして、医師の予懇を超えて無事八時間でその手術は終りました。
翌日、主に手を握られて麻酔から覚めた私は、主の守りを心から感謝しました。ドアの外側で医師と話をしていた家内が、私のところに近寄ってくれました。「もう大丈夫ですね、ジュースでもさしあげてかまいませんよ。」と言われ、オレンジジュースを飲ませてくれました。生きている喜びを味わってしばらくしたとき、言い表わせないような気持ち悪さに襲われ飲んだものを吐き出してしまいました。そのあと、体のカが全部ひいて行く感じで血圧はさがり脈拍もみだれ容態は危険な状態へ急変しました。気持ち悪さから早く楽になりたいと誘う思いと、それはだめだもっとがんばれという思いが心をかけ巡りました。医師や看護婦があわただしく動いているのが遠くに感じられました。そのときです、主の手が天井から降りてきて私の心臓のところに止まりました。瞬間、体温が戻ってきました。ちょうど死刑を翌日に牢の中に閉じ込められていたペテロ先生が、教会の祈りによって救い出されたように、私も多くの祈りによって助けだされました。
翌日は病室に戻り三週間もしないで退院することができました。祈りは答えられました。ハレルヤ!
《執筆者》
山田 亘
保谷キリスト教会
(現・西東京キリスト教会)
牧師