「祈りを楽しむ」

 昨年度の私たちの教会の標語は、「祈りの家」であり、イザヤ書56章7節のみことばをいただきました。そこでは、神御自身が私たちを聖なる山に連れて行き、祈りの家で楽しませてくださると語られています。

月刊アッセンブリーNEWS
1996年3月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「祈りを楽しむ」

 祈りには、神との交わり、賛美、願い、とりなし、戦い、感謝などいろいろな意味が含まれています。しかし、ふと気づくと義務や強制のように考えていたり、楽しむとは程遠いものになってしまっていることがあります。時には自分に言い聞かせ、強いて祈りに励まなければならない時もあります。それが良くない訳ではありませんが、祈りを楽しむことができる時、信仰生活における大きな喜びとなるでしょう。

 祈りを楽しむには、祈った者こそ主に期待できることを知る必要があります。

 教会では、毎月一日を教会特別祈祷日とし、先月の恵みに惑謝し、今月の祝福を期待することにしています。また、毎週金曜日の合同早天、土曜日の準備祈祷をもって、聖日礼拝、諸集会への霊的準備奉仕を行っています。
 先ず祈りの祭壇を築いていく時に、戦いの中においても感謝が生まれ、感謝の中から信仰によるビジョンと期待を持つようにされていくのです。また、主を求め、祈りと賛美で備える時、主はご自身の臨在と御業をあらわしてくださるのです。
 ある夜、会堂で祈っていた持、背筋が寒くなり、祈りに集中できなくなった事がありました。次第に天井裏が気になりだしたので、上ってみると、木の御札とわらじが柱に打ち付けられていたのです。それを取り除き燃やしてから祈ると平安と希望に満たされました。そのものに何か力があるわけではありませんが、神様に喜ばれない存在であり、そのことを神様は教え、取り除かせてくださったのです。
 祈りの中で神様は、多くの事を教え、導き、平安と希望に満たしてくださいます。教会の呼称にジョイフルチャペルと付けたのは、神による本当の喜びに満たされ、主に用いられることを願ってのことです。共に祈りを楽しみ、主に期待していこうではありませんか。

《執筆者》

澁谷 友光

青森キリスト教会 牧師