「なんちゃじゃない」

 日本のクリスチャンだけではなく、諸外国のクリスチャンたちも、日本のリバイバルを熱心に祈っていて下さる昨今です。また、ひたすらただその一事を願って天に召されていった多くの聖徒たちがいます。頂度へブル人への手紙11章39節のみ言葉にあるようにです。

月刊アッセンブリーNEWS
1993年5月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「祖国日本にリバイバルを願って」

 土佐弁に「なんちゃじゃない」というのがあります。「むなしい」、「意味がない」、「大して重要ではない」といった意味です。

 私たちの奉仕がイエス様に「なんちゃじゃない」と言われたら虚しいことこの上なしです。「よくやった。良い患実な僕だ」とイエス様に評価していただきたいものです。

 私たちは主のみこころを行うために、「聖霊」の力をいただいたベンテコステの一員です。聖霊によって始まり、聖霊によって事を進め、栄光を主にお返しするのです。

 もし、どこかの過程で人間的なものが入り込んだり、すり替えられたりしたら、イエス様の評価は「なんちゃじゃない」になってしまうかもしれません。

 エペソ人への手紙6章には、「私たちの格闘は悪霊に対するものです」「神のすべての武具を身に着けなさい。」「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍離の限りを尽くし、また祈りなさい。」と書いてあります。
 まず私たちは自分に問いかけてみましょう。

  1. 私たちは本当の敵を確かな的にしているでしょうか。
  2. 私たちは祈っているでしょうか。
  3. 私たちは御霊によって祈っているでしょうか。
  4. 私たちは御霊によって愛に突き上げられて祈っているでしょうか。
  5. 私たちは御霊によって祈り、御霊の指示をいただこうとしているでしょうか。
  6. 私たちは御霊によって祈り、御霊の指示に従っているのでしょうか。
  7. 私たちは御霊によって祈り、本当のゴールを仰ぎ見つつ祈っているでしょうか。

 初心に帰り、聖霊に聞き従って実を結ばせていただきましょう。ただ、ただ、信仰の創始者であり、完成者であるお方から、「なんちゃじゃない」と言われないように。

《執筆者》

柿谷 悟

須崎福音キリスト教会