「だれかが
どこかでありがとう」
藤沢市において開拓を始めて一年がたちました。
私のクリスチャン生活の中で一番祈りに時間を割いた年でした。と言うよりも、祈ることしかできなかったというのが正直なところです。高校時代を過ごした場所ではありましたが、礼拝を共にする人は誰もおらず、しばらくは子供たちばかりが集う集会でした。それでも当初より日曜日に2回の礼拝会、平日の祈祷会を掲げていたためか、それらの集会にはいつも参加者が与えられました(誰もいない日曜日には駅前に行き、声をかけては教会に誘っていたため、時にはナンパや誘拐犯に間違われもしましたが…)。
月刊アッセンブリーNEWS
1998年6月号掲載
月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。
「だれかがどこかでありがとう」
昨年受洗した姉妹は、高校卒業の時に公立の学校ではありましたが新約聖書が配られ、読んではみたものの教会に導かれることなく青森から上京し、15年近くがたってから救われた方でした。
日曜日の夜の礼拝に初めて来られた青年は、長い間マルクスの思想の中で生活をし、福音を伝えてくれる人が周りにいたのにも関わらず抵抗し続けていました。個人伝道を通してその場で救われ、信仰の歩みを始めました。小学生の時、近くの教会に行ったことを思い出し、誰かが祈っていてくれたのでは、と感動をもって話して下さいました。
この他にも、子供の頃日曜学校に通っていたために、喜んで2人の子供を送って下さるお母様や、学生時代に洗礼を受けながらも、30年近く教会から離れていたご婦人、ミッション系の大学に通っていたためにいつかは教会へ、と思っておられたご婦人などが集われています。この原稿を書きながらも、ミッションスクールを卒業したという女性からの問い合わせがありました(主よ、導き、救いたまえ)。これらの人々に出会うとき、その背後にある多くの方々の祈りを惑じます。
「だれかがどこかでありがとう」 これはある募集のキャッチコピーです。人知れず私のため祈っていて下さる方々に、天の御国で私は「ありがとう」と伝えたい。と、同時に私自身がそのような執り成しをしたい、そう願わずにはいられない程、祈りの大きな力を体験しています。
《執筆者》
藤村 良彦
藤沢福音キリスト教会