「祈りと教会成長」

 私たちの教会では、「祈りの運動」というものを持っています。毎日一時間以上祈ることを目標においているもので、各人、毎月日々の祈りの生活の結果が「祈りのシート」に記録され提出されます。提出するかどうかは、自由ですが、「祈りのシート」を提出される人々は祈りの生活が確実にできているようです。

月刊アッセンブリーNEWS
1993年8月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「祈りと教会成長」

 

 多くの人々がこれに参加している月は、教会全体が前進し、人々もよく導かれます。しかし、祈りが教会全体的に稀薄になっている感じのする時には、教会の中に、問題、トラブルとさまざまな悩みの種が出て来るようです。そのような状況では、まず、私自身の祈りの生活を強め、教会全体の祈りを強化しようと考えます。教会全体に祈りが満ちてくると、自然に問題も消えてしまいます。

 モーセがアマレクとの戦いで祈りの手を上げている時は、イスラエルが優勢、疲れて手を下ろしている時は、アマレクが優勢となりました。そして、アロン、フルに支えられて祈りぬいた時、イスラエルは、アマレクを打ち倒してしまいました。今日も、教会の指導者、聖徒が協力して祈りの手を上げる時、主の御手が動かされ、神の国の前進を阻む悪魔の働きは砕かれて行きます。人々が救われ、病がいやされ、機々な問題が解決されてしまいます。

 最近、礼拝者が増加して来るにつれて、礼拝説教をする時に重く感じたり、体調が不調に感じたりするようなことがよくありました。これは、神の国の前進に対する霊的な抵抗があると感じ、教会の聖徒にとりなしの祈りを要請しました。「食事の祈りの時にも、私たちのために力が注がれるように祈ってください。」というものです。聖徒の方々は、喜んで受け止めてくださいました。次の週からは、礼拝説教の時の霊的な重さが取り除かれ始めたのです。魂が教われ、神の教会が前進していくのは、霊的戦いであると最近特に感じさせられています。そして、その戦いの武器は、祈りです。

「私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどにカのあるものです。」(2コリント10:4)

《執筆者》

増田 哲之

シティビジョン・グローリーチャーチ