祈りのコラム (26)

「神の願い」

「男は、怒ったり争ったりしないで、どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい。」(Iテモテ2:8)

 20数年以上前に、岡崎に在任中、全国家庭文書伝道協会から各家庭に配布するトラクトを頂き、教会付近の町に配布しました。その時に、特に気付いたことは、どんな町にも必ず神社と寺院があることでした。それらが江戸時代から続いている事を思い、少なくとも公民館や集会所があるように日本中にキリスト教会があったら良いのに…と思いつつ配布したことを思い起こしています。

月刊アッセンブリーNEWS
1994年8月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「神の願い」

 

 あるキリスト教の雑誌の中に、ある教団では1988年から礼拝出席者数が少しずつ増加し、その後92年になって落ち込み、一教会当たりの平均出席者数が39名から37名になったという報告がありました。一教会ならば、上下する時もありますが、教団全体であるとすれば大変ショックな数字です。キリストの体である教会は、成長し「キリストの満ちみちた徳の高さにまで至る」こと(エペソ4:13)を願っているのです。しかし、現実の厳しさを見るのです。

 キリスト者は、リバイバルは勝利を得た祈りの結果と言っています。勝利を得る祈りとはいかなる祈りでしょうか。

 創世記の中には、神と争って勝ったと言われる人の例があります。ペニエルで神と出会ったヤコブです。見知らぬ人がヤコブに「夜が明けるからわたしを去らせてください」と言うと、彼は「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」と答えました。ここに見られるのは、祝福を受けなければやめないと決意し、祝福を受けた人です。「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです。…するとその人は、…その所で彼を祝福した」(創世記32:24-30)。

 ヤコブは神と争って勝ったのです。そして、自分が求めた祝福を神から得たのです。キリスト者が求めるだけでなく、求めたものを与えられることが神の願いであることを確信いたしましょう。

《執筆者》

渡辺 喜平

駿河キリスト教会

引退