「わが神、わが主よ」
「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ。」
ある朝の祈りの時、私のロから、このような神への呼びかけの言葉が出ていました。旧約聖書を読み続けていたからでしょうか。祈る時には、先ず神の御名を呼びますが、人によってさまざまです「愛する天の主よ」「恵み深い天の父なる神様」など、それぞれの信仰を表わす言葉が使われます。
月刊アッセンブリーNEWS
1996年8月号掲載
月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。
「わが神、わが主よ」
詩篇22編の冒頭でダビデは、「わが神、わが神」と切実に神を呼び求めています。主イエスの十字架の言葉「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」も「わが神、わが神」という言葉で始まっています。トマスが復活の主にお会いした時にも「わが神、わが主よ」と告白しました。
私は、朝の祈りが変わってきました。「アブラハム、イサク、ヤコブの神、そして善徳映子(旧姓)の神、主よ。アブラハムは、偉大な信仰者です。いつも、神に聞き従い、神と深い交わりを保っていました。アブラハムに、親しく語りかけ、彼の祈りを聞かれた神が、私の神です。そして今日も私の祈りの声を聞いて下さることを信じます。このように強い確信をもって祈りを始めるようになったのです。今日も私が、アブラハムや偉大な信仰者たちのように、聴き従う心を持って、聖霊の導きの中で一日を過ごすことができますようにということも朝、祈ります。
個人個人の「私の神」という強い確信が「私たちの神」という教会の公同の祈りへと導かれて行きます。私たちの教会の祈祷会や断食聖会を通しても、主はすばらしい祝福を与えておられます。救われる人々が起こされ、病の癒し、悪霊からの解放が起こり、また具体的な祈りの答えがあります。兄弟姉妹が、神を切実に求め、祈っている前提があるからではないでしょうか。
そして、私たちは、求道者に対して「この私の神は、あなたの神でもあるのです。あなたの神を知ってください」と、神による救いについて語ることができるのです。神との個人的な交わりが前提にあるからです。個人を通して、教会を通して、働いてくださる神に、心から期待して祈っています。
《執筆者》
川西 映子
宇部神召キリスト教会