祈りのコラム (28)

「一人になって
  神と交わる」

 私たちは大勢の人の陰に隠れて、神の前に自分の正直な姿を見出すことを怠ることはないでしょうか。パウロは「私は何というみじめな人間なのだろう」と嘆いています。しかし次には「私たちの主イエス・キリストによって神は感謝すべきかな」と勝利の賛美ささげています(ローマ7:24~25)。これは神の前に自分の心の状態をはっきり知り、真剣に神と体面した人の叫びであります。

月刊アッセンブリーNEWS
1997年8月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「一人になって神と交わる」

 主が祈っておられたすぐ傍にいた一人の弟子が「祈ることを教えて下さい」と申し出ました。熱心に祈る人のすぐ傍らにいても自分は祈れないと思うことがありませんか。その様な時に「こう祈りなさい」(ルカ11章)と教えられたのが「主の祈り」です。先ず心に主の御名を崇めましょう。そして主の祈りに従って心を点検して頂き祈り続けましょう。また、家族と共に祈りましょう。特に幼な子と主の祈りを毎日祈りましょう。成長し、一人になっても霊の戦いに勝つ力が与えられる人になることを願って。

 私共の教会の一人の姉妹は、旧満州で終戦を迎えられ、その直後、日本女性たちがソ連軍進行された時、彼女もその中の一人でした。ソ連将校の前に立たされた時、思わず主の祈りを心に唱え祈りはじめられたそうです。すると何を思ったか「帰ってよろしい」との合図に走って帰国し、様々な試練の後に無事帰国され、現在教会の隣りに住んでおられます。私たちは弱くても祈りには力があります。聖霊は必ずどんな時も助けを下さいます(ローマ8:26、マルコ13:11)。「バアルに膝をかがめない七千人をこの町に見出せますように」といつも礼拝前に教会で祈っていたのは今は天に召された私の母です。彼女はよく戸を閉じて隠れたところにおいでになる天の父に祈った一人です。

 「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである」(詩篇46:1)。

 神と親しく交わり、霊的にますます高められて主の日のために心備えしましょう。

《執筆者》

大野 正道

住之江キリスト教会

召天