「リバイバルの原点」

 初代教会において、主イエス様に用いられた人々は、御霊に満たされた人たちでした。使徒行伝6章には御霊の満たしが賜物と共に、「御霊と知恵とに満ちた」人、「信仰と聖霊に満ちた」人、「恵みと力に満ちた」人と述べられています。これは、宣教のカが人間の能力によるのではなく、御霊の働きによるものであることを教えています。「御霊に満たされる」ことこそ、教会の始まりであり、宣教の始まりであり、リバイバルの原点です。

月刊アッセンブリーNEWS
1998年8月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「 リバイバルの原点 」

 さて、使徒徒行伝の中には、御霊の溝たし、すなわち、異言の伴う聖霊のバプテスマについて記されている出来事の中に、御霊に溝たされる秘訣が隠されているように思われます。
 まず第一に、使徒行伝2章です。百十名ばかりの人々が、心合わせ、ひたすら祈りをささげていたとき、突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こり、一同は聖霊に満たされ、異言で語りだしたとあります。御霊は「一致の霊」です。私たちの祈りと信仰が一致するとき、聖霊様は栄光をあらわされます。

 教会のビジョンや牧師先生のビジョンに、私たちが心を合わせ、一致して祈るときに、御霊のカと賜物とが注がれて、宣教の大きな力となります。

 次に、使徒行伝8章には、使徒たちの按手によって、御霊の満たしを受け、賜物に満たされたとあります。私たちは、教会や教区で行われる聖会や特別集会に積極的に参加し、聖霊の充満を受けることが大切です。

 また、使徒行伝10章には、御霊の注ぎがすべての人にあらわされたことが述べられています。聖霊様はみことばを通して働かれ、みことばを通して語られます。絶えずみことばに耳を傾け、聖書を通読することは大切です。なぜなら、みことばは御霊の息だからです。御霊に満たされることは、御言葉に満たされことと同じです。

 最後に、使徒行伝19章です。御霊の満たしを受けるために大切なことは、飢え渇くことです。私たちが求めることなしに、聖霊様は働かれません。期待し、求めていくとき、豊かな注ぎを受けることができます。

《執筆者》

川上 良明

仙台神召キリスト教会