「祈り、祈られる」
今から4年前になりますが、私共の教会では祈りの群となりたく導かれ、その手始めとして、全国諸教会の一つ一つのために祈ることにしたのでありました。折る期間は、一教会一週間とし、毎遇、週報にその教会と先生方の名前をのせ、まず礼拝で祈り、そして祈祷会、早天で祈ることにしたのです。
月刊アッセンブリーNEWS
1989年9月号掲載
月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。
「 祈り、祈られる 」
そして、この祈祷会のミソは祈る責任の自覚を持つために、おこがましい限りでありますが、ハガキをもって祈る期間と項目をお知らせしたことにあります。
長期間に亘る祈りでありましたが、北は北海道から、南は沖縄まで、およそ3年間にわたって祈り続け、昨年2月14日をもって祈り切ることができました。
祈り終えてまず惑じたことは、ひとつのことをなし終えた深い溝足感と、全国の諸教会の主にある祈りの交りができたことです。こちらの勝手の祈りなのでご返事は無用としたにもかかわちず、数々の反応があったことは驚きでありました。わざわざ丁重なる感謝の手紙を下さった教会、現在直面している祈祷項目をあげて祈って欲しいと要請されてきた教会、電話で直接お礼と励ましを下さった教会、また、祈りにイメージが湧くように写真を同封して下さった教会等々、小さな小さな祈りでありましたが、祈り始めると何かが起ることを体験しました。祈ることは、又祈られることでもあることがわかりました。自分の教会だけにとじこもり易いカラも打ち破られました。全国の諸教会の先生方と、その地名を改めて信徒と共に知ることもできました。そして一番うれしいことは、祈った祈りが聞かれてきていることを見ることです。
主は生きて働いておられます。1999ビジョンの達成のために新たな思いをこめて祈り続けていきたいと願っています。
《執筆者》
佐藤 茂助
引退
(執筆時は秋田福音キリスト教会、その後、結城キリスト教会)