「力を受けよ」

 どのようにして聖霊の力を受けたことがわかるのか。言いかえると、聖霊のバプテスマを経験した証拠は何か。これは福音書からは決定できない。そこには聖霊降臨の預言と約束があるが、預言や約束は成就されて始めて完全に明らかにされるからである。手紙からも決められない。それらは大部分が既成教会に宛てられた牧会指導書で、当時の教会では御霊の現れの伴った御霊のカがあらゆるクリスチャンの普通の経験と考えられていたからである。

 従って、その決定は、実際に聖霊のバプテスマを受けた多くの実例が記録されている使徒行伝から下さなければならない。

 

月刊アッセンブリーNEWS
1990年9月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「 力を受けよ」

 その実例のすべてに聖霊を受けた結果が配録されているわけではないが、記録されている結果は、例外なく、常に直接的、超自然的、外的あらわれを伴っており、それによって受けた人だけではなくそばで聞いていた人も聖霊を受けたことを確信した。すなわち、どの場合にも、今まで学んだことのなかった言葉(異言)を語るという外的しるしが伴っている。

 では、このカのバプテスマはどのようにして受けるのか。

 第一に、正しい態度が絶対必要である。聖霊の来臨を経験した最初のグループは「心を合わせて、ひたすら祈りをしていた」(使徒1:14)。彼らは主の約束に励まされ、期待をもって聖霊を待望した。
 
 第二に、救いの後に続く聖霊の賜物を受けることにはクリスチャンの働き人による祈りが関係している。サマリヤ人の場合「ふたり(ペテロとヨハネ)はみんなが聖霊を受けるようにと、彼らのために祈った」(同8:15)。
 
 第三に、霊的力を受けるには教会の一致した祈りが必要である。心を合わて祈ったとき、その場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされた(同4:31)。
 
 第四に、コルネリオの場合のように、みことばを聞いている最中に、信仰によってすでにきよめられている心に聖霊は注がれた(同10:44、15:9)。
 
 第五に、力のバプテスマは賜物(同10:45)であるから、恵みのみ座で主の約束を信じることができる。聖霊は恵みとして贈り物として必ず与えられる。

《執筆者》

マイヤー・パールマン

宣教師