「みこころにかなう祈り」  

 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる。」(1ヨハネ5:14)とありますが、これこそ私達が祈っていくなかで励ましとなり確信となるものです。もし私達がどんなに祈ってもその祈りが聞かれないとするなら私達はすぐに意気消沈してしまうことでしょう。しかし神様は私達の祈りを聞いて下さるお方なのです。

月刊アッセンブリーNEWS
1996年10月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「みこころにかなう祈り」

 ただここで忘れてはならないのは、神のみこころにかなう願いをするならと語られている部分です。私達の願いというのは、とかく自己中心的になりやすいという弱さをもっていると思います。その証拠に自分の願い通りになると祈りが聞かれたと思い、自分の願い通りにならなかったら祈りが聞かれなかったように思うのではないでしょうか。

 しかしここで覚えるべきことは、祈りにおいても神様が主導権を握っておられるということ、そして最善に導いておられるということです。ですから私達も最終的に主イエス・キリストがゲッセマネの園で「わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と祈られたようにみこころを求めて祈る必要があると教えられるのです。

 では、私達はどのようにして神様のみこころを知り祈ることができるのでしょうか。それは御霊によってできるのです。「神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。」(1コリント2:11)と言われているように御霊は神様のみこころを御存知な方なのです。

 そしてこの御霊は私達の祈りを助けて下さる方なのです。「御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。」(ローマ 8:26)

 ですから、私達は、なかなか神様のみこころがわからない弱さがあることを素直に認めて御霊に助けて頂いて祈ろうではありませんか。そして御霊に導かれて祈る祈りは神様のみこころと一致しているということを確信して神様の御前に大胆に近づいて参りましょう。

《執筆者》

瀬古 慎二

千歳キリスト伝道所

(現在は御影神愛キリスト教会に転任)