「韓国断食祈祷体験」  

 私にとって5年ぶりの韓国だった。

 神学校に入学する前、献身についての明確な確信がいただきたくオサンリの祈祷院で祈ったことを思い出す。その時の祈りが献身を決意するひとつの節目であった。

月刊アッセンブリーNEWS
1997年10月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「 韓国断食祈祷体験 」

 あれから5年、神学校を卒業してじっくり祈りこみたかったのだが祈りこめずに2年の働きが過ぎた。トラクトを配り、個人伝道をし、伝道所に来られる人はいるのだが信仰の決断にいたらない。また、信仰の決断をしてもさまぎまな理由で集会に参加できない。開拓伝道の働きの中で行き詰まりを感じているときに今回の韓国断食体験ツアーのチラシに目がとまった。「もう一度祈りこもう、祈りの中でこそ神様の業がすすめられる。」そう決心してこのツアーに参加させて頂いた。

 祈祷院到着初日、夜の聖会が終わったあとで祈祷院を散歩していると神様と交わりをもっているさまざまな人々の様子を見ることができた。ある人たちは賛美を歌いながら穴の中で祈り、ある人は外灯の灯りのもと聖書を読み、夜警の人は「ハレルヤ」と叫びながら警備している。祈りの声が祈祷院中に満ちているのだ。
 
 その祈りの声が最も響く場所は山の斜面にある墓地であった。人々がそれぞれに祈っているのだ。ある人は個人で、ある人たちはグループ単位で祈っている。「アボジ(父よ)」「チュヨー(主よ)」と大声を張り上げて祈っている。郷に入っては郷に従う、わたしも韓国の人たちに負けないぐらい大きな声で祈った。その祈りの中で浮かんできたのは日本に残してきた息子のことであった。生まれたばかりの息子は何か不足があれば泣き叫ぶ。「祈りの原点はここにあるのだ。今回はとにかく神様に叫ぼう。」そう決心して韓国での日を過ごした。
 
 聖会の中のひとつの御言葉が与えられた。それは詩篇3:4「わたしが声を上げて主に呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。」 神様は叫び求めるものに必ず答えてくださるということを確信して日本に戻ってくることができた。「主よ、主よ、主よ、日本にリバイバルを!」

《執筆者》

安東 聖樹

讃岐栄光キリスト伝道所

(現在はアガペー三田キリスト教会に転任)