「祈らないよりは
祈った方が良い」
私は、祈らないクリスチャンを長くしていたため、祈りの習慣が身に付いていなかった. 自ら教師となって開拓に遣わされて、祈るしかない事を痛切に教えられ、又、確かに主は祈るならば聞いてくださる御方であることを体験させていただいて、祈ることの楽しさを実感している。
月刊アッセンブリーNEWS
1998年11月号掲載
月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。
「祈らないよりは祈った方が良い」
私は、祈らないクリスチャンを長くしていたため、祈りの習慣が身に付いていなかった. 自ら教師となって開拓に遣わされて、祈るしかない事を痛切に教えられ、又、確かに主は祈るならば聞いてくださる御方であることを体験させていただいて、祈ることの楽しさを実感している。
南風原伝道所が、この4月から開拓をスタートしてから早くも五ヵ月が経過してしまった。振り返ると、「できた」ということより「できなかった」事が多いのではと反省する。「反省だけなら猿でもできる」コマーシャルではないが、反省は次回の結果につなげねば人間ではないとしたら、やっぱり焦りが生ずる。「伝道しなければ!」という思いは自分を苦しくする。救われた喜び、魂への愛によって押し出される伝道をしたい、が…あのアーサー・ホーランド師のように大胆にはなれない。聖霊様のお力が、今の私には一番必要であると思っていた頃、ペンサコーラ沖縄大会で、ルーベン師と教区の先生方との、食事の交わりの場で、「正直に言って、日本の牧師たちは弱々しい」と言われた。
私はもちろん、他の数名の先生方もハンマーで頭を殴られた思いだった。その場で、「私は変わりたい!」ということで一致し、翌日から毎週月曜日の祈り、月一回は、聖霊に満たされ大胆になる訓練として、叫ぼう会、路傍伝道、マーチングなどを行い、「私が変わればリバイバルが起こる」と、勝手な思いで祈らせていただいている。
私と家内は、伝道所の家主さんご夫妻が救われるように伝道所のまわりを毎日7回、祈りながら回っている.結果6月21日から、ご主人が毎週礼拝に出席している。祈りによって始められたパラソルチャーチでは、導かれた子どもたちが、毎週教会学校に15人程出席している。「祈らないよりは祈ったほうが良い」ことは確かである。
《執筆者》
池原 吉治
南風原開拓
(現・沖縄プレイズチャーチ)
牧師