祈りのコラム (44)

「聖なる情熱」   

 神の働きに必要なのは聖なる情熱である。情然の火はあなたの骨に、心に、頭に燃えていなければならない。
 
 ひとたびあなたの霊と魂と体の全体がきよい熱心さと霊的情燃に燃え上がるならば、あなたの働きをさまたげるものは何もない。

月刊アッセンブリーNEWS
1991年12月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「聖なる情熱」

 霊的情熱は大声で騒ぎ立てることではない。騒音はキリストへの完全な明け渡しを避ける小細工である場合が多い。大きな声で歌うことが神の働きと神のみこころを行うことの代用となってしまい、霊的には眠っている場合もありうる。お金と時間と労カをささげて困っている人たちを助けなければならない時に、宗教的騒音はそのような必要を回避する麻酔剤となる。情熱の人も騒々しいかもしれない。しかし彼は神の働きを行うという一つの尊敬すべき偉大な目的をもっているがゆえにさわがしいのである。

 霊的情熱は急いで活動することでもない。多くの人が「この仕事を早くすませて楽になろう」と言う。その場合、神の仕事よりも、その後の自分のことで頭が一杯なのである。これは完全な献身ではなく、霊的情熱ではない。

 霊的情熱は解放された聖なる愛である。燃える愛である。ゆるす愛、分け与える愛、恵みを求め続ける愛、まっ先にささげる愛、喜んで働く愛、人々をキリストに導く愛である。そして何よりも、霊的情熱は絶望の中でささげられる熱心な祈りである。このような情熱の火は聖霊によって教会に与えられた最大の資産である.

 いかにしてこのような情熱を持つことができるか。
 
 祈り求めることである。主は聖霊と火をもってあなたを満たして下さる。消えることのないみことばを与えて下さる。

 祈ったなら、与えられたと信じて歩み出すことである。教会の奉仕に積極的に加わることである。伝道することである。

《執筆者》

ロバート・アシュクロフト

宣教師