祈りのコラム (58)

「小さなリバイバル
     を大切に」   

 リバイバルはイエスさがこしらえてくれるみ業です。主は愛する信徒に気前よく(マタイ20:15)信仰を燃え立たせて下さいます。
 
 一時間か二時間、主の御前に静まって祈っていれば、祈りの霊が注がれて、内なるものが再活性化されてうれしくなって、手を上げて祈れるではありませんか(使徒13:39)。
 
 「わたしのリバイバル」は小さい火ですが、二、三人で(マタイ18:20)祈るなら、たき火くらいの火にはなります。教会員全員が再活性されたら、キャンプファイヤーくらいの炎になります。
 

月刊アッセンブリーNEWS
1997年 7月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「小さなリバイバルを大切に」

  もし、教区の教会が時を同じくして霊的な再活性化を果たしたとすれば、それは火事騒ぎになるでしょう。
 
 もし、教団中の教会が、束になって信仰の再活性化をやったとしたら、その時はきっと大震災なみの騒ぎ(使徒2:2)になるでしょう。
 
 リバイバルは遠い国にだけあるのではなくて、イエス様のいる所なら、信徒一人ひとりのハートの中にも、いつでも小さなリバイバルはあります。
 
 初めて、信徒たちがクリスチャンと呼ばれるようになったアンテオケの教会も、そんな風にして出来ました。
 
 ただ、言うは易く、行うは難しなのです。何となく眠いのです(マタイ26:40)。テレビドラマとかスポーツ中継が好きだというのは、信仰的な緊張感の眠い時だから、敗けないように善処しましょう。
 
 リバイバルの集まりで、手を上げて祈っている時には、罪の悔い改めの心境であるそうです(エバンジェル誌)。
 
 いつの場合でも、信仰による義人が、生き生きとしているのです。リバイバルは、罪の意識と救いの感謝が、主を両手で崇めているのです。
 
 イエス様も、その火がクリスチャンのハートの中に、いつも燃えていたらいいのになあと、どんなにか待ち望んでいることでしょう(ルカ12:49)。
 
 主に思い出されることを求める者よみずからやすんではならない(イザヤ62:6)。

 

 

《執筆者》

澁澤 道忠

岐阜神愛キリスト伝道所

召天