坂本キミ「私の生涯の回想記」(第7回)

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昭和初期当時の自転車

教団ニュース・アッセンブリー 1978年5月1日発行 通巻272号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『自転車練習
  と村の伝道』

 神様は八王子伝道の為に自転車を二台備えて下さいました。


 ウェングラー先生は軽井沢で乗る練習をして来たのです。見た事もない女乗りの自転車が二台届きました。夏の休暇が終りお帰りになった先生が「さあ今から坂本さんは自転車を習いましょう。」とおっしゃってご自分も一緒に裏の静かな道路に出かけました。私の自転車は二十四インチの小形です。それでも私には難かしくて乗るよりも落ちる方が早いのです。入浴の折に体を見ると太ももと言わず、腰と言わず、腕まで黒あざだらけで自分ながら大笑いをしました。


 時間がある限り自転車を持ち出して練習しました。夜は近くの小学校校庭に出かけ、人を見付けしだいに「自転車を習っています!うしろを持って助けて下さい!」と頼みます。二十五才の私は恥かしさも忘れて一生懸命です。なぜなら自転車を備えられてしまったので、私はむづかしくて乗れません、とは言えないのです。一回習いだめ、二回出かけだめ、三回四回、出来るのは黒あざばかり、三十分四十分の棟習時間では中々はかどらないが、ついに一ヶ月程したある日、顔見知りの人に後押しを願って乗っていたところ、後の方から先生の声で「坂本さん乗れました!」との大声。後押しのおかげと思っていたのが自分で走っていたのです。



 この日は家への帰りは自転車で帰りました。ところがです、さて家近くになって自転車からおりられないのです。こわくてあぶなくておりられないのです。先生も私の状態に気が付かれて後から自転車の上で「坂本さん危ぶない気をつけて」と大声で怒鳴りながら走って来ます。おりられないで八王子の町の中を過ぎて村に入りました。しかし、まだおりられない、そこには馬車がこちらを向いて歩いて来ます。細い村の道ではどうする事も出来ずに自転車からころげ落ちて、馬との衝突から逃れることができました。



 先生と私との自転車珍談の楽しい思い出です。私の自転車の失敗談はまだまだ後をたたない。袴(はかま)がチェーンにからまって転倒した事。ハンドルの取りそこないで裏通りの床屋に飛び込んだ事、その度(たび)ごとに先生は「私が恥かしくなるからあなたは気をつけて」とおっしゃるのです。考えてもなつかしい若かった頃のウェングラー先生。私の無暴ぶりに、いつも先生はハラハラしていたお様子。でも二人は楽しかった。女乗りの自転車は昭和の始め頃では八王子では珍らしいものでした。第一、女が自転車に乗る事自体がとんでもない事だったのです。(私のいでたちたるや長袖の着物に紫の袴)先生と私が自転車で町に出かけますと人々は目を見張って驚きました。


 しかし、ある人はオテンバ!と笑うのです。しかし御本人達はきわめて快々(かいかい)、こんな便利な楽しいものはまずありません。ウェングラー先生と私は天気であれば、私が神学校から帰り次第、自転車に乗りました。先生いわく「私達は今のところ自転車熱で一杯ですね」とおっしゃるのです。


 ただ、いつまで熱に浮かされていてはなりません。二人で相談して週に二度、近くの村に自転車で行き、手始めに教会学校伝道をすることにしました。太鼓とタンバリンを自転車につけて川口村に行き小学校の近くで子供達を集めました。大きな太鼓の音、珍らしいタンバリンの音は子供達を集めるに充分でした。それからキリストの救いについてのお話でした。この小学校の近くに田中義信先生のお父上の家があったのです。(後にこのお父上が八王子教会員となったのです)。



 また、この青空教会学校は八王子の西隣の浅川町でも始めたのですが、ところがある親切な老人夫婦が、子供のためになるよいお話をするのに外ではお気の毒、家は農家で広い家だからうちに来なさい、と迎え入れて下さった。広々とした農家特有の土間、それに引続いた十畳間が四部屋を、無代価で使わして頂きました。この教会学校は二十年八月一日八王子の空襲で焼失するまで続いていたのです。この老夫婦は子供の集る日にはいそいそと待っていてくれました。

 集会が終ると私をねぎらってくれた事は忘れられません。心づくしのお野菜を頂いては得々と自転車で八王子に帰る八キロの道は、それは私には実に心たのしかったのです。


 自転車は実に私達の働きを助けてくれました。町では大きな荷物は荷馬車がこれを運び、他は人が引く木製の荷車が町中を行き来しているのです。自転車は五軒に一台位の割合にしかないのです。そのために町の中どこを走ってもさまたぐる物なしと言った状態でした。日曜日の午後信者さんたち田中篤二兄を加えて四人の兄弟達が村の伝道に、また、ある時はトラクト配布に手分けしてくり出すのです。私達はこれを名づけて自転車伝道隊と呼んでいたのです。


 ウェングラー先生も実によく助けて下さいました。この兄弟達は戦争で犠牲となってしまいました。


坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

 

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。