坂本キミ「私の生涯の回想記」(第9回)

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教団ニュース・アッセンブリー 1978年7月1日発行 通巻274号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

『山本青年の救い』

 八王子教会はウェングラー先生が神戸に行かれての留守中、アグネス・ジュルゲンセン先生が都合の出来る限り、日曜日に応援に来て下さいました。


 ある時はお泊り下さるので、若かった二人は楽しいお交わりもできました。本当に感謝でした。


 ある日曜日の夜の集会の時でした。路傍伝道から引あげてのその夜の集会は大変に恵まれた集会でした。神の愛についての説教でしたが、その一人一人の恵まれた会衆の顔の中に一人、見なれない青年が一番うしろの隅の席で、小さくなっているのが見えたのです。集会が終り信者達も皆帰りきったのに、この青年は隅の所で泣いているのです。不思議に思い、よくよく話を聞きますと、彼いわく「自分は現在八王子市上野町に働く者ですが、それまでは横浜に住んでいたのです。ところが職場で悪の道に誘われ、一つの悪から次々と悪を重ね、遂に警察に捕まり東京の少年院に入れられたのです。しかし、そこを友と二人で破って逃げだしたが、またすぐ捕えられて八王子少年院に入れられたのです。



 八王子にきてからは自分が悪かったと悟り、少年院の規則を守って働いたお陰で二年目に仮出所となり、少年院の教官の御両親の家の事業の手伝いをして働いていました。



 その家の人達は大変よく理解をして親切にして下さるのですが、職場の仲間たちが前科者という目で見る上に、主人の前ではきれい事を言いながら陰ではあざげり、ののしる有様にいたたまれないのです。しかし、これも自分が悪いからだ、自分が悪いからだと耐えに耐えてきましたが、ある出来事でこれ以上耐え切れなくなってきました。




 私がいくら真人間に帰ろう、真面目な道を歩もうとしても、周囲が白い目で見て罪人扱いをする。なぜそう冷いのか、自分は既に二年間も少年院で罪の償いをしてきているのに、なぜ受入れてくれないのか。よし、社会がそうならもっと人々を驚かせるようなことをしてやろう、と腹に決めたのです」。


 こうした気持を抱いていた日曜日の夜、前科者が町をうろついていると警察の目に付きやすいのでポリスの目を逃れるために安全な教会を選んで来たという訳でした。もとよりキリスト教のお話を聞こうなど考えてもいなかったのです。ところが今まで全く知らなかった神様のお話「天の父なる神様は罪人をも愛し、救って下さる、そのために御ひとり子キリストをこの世に送って下さった。そして、人聞の罪の身代りとして十字架にかけて下さった」。このメッセージが彼の心の中に強く入ったのでした。



 この夜この青年は、心から主の前に悔い改めまして救いの恵みに預り、はればれした面持ちで主人のもとに帰ったのです。そして一切の事情を打ち明けて許しを頂き、教会からも主人にお願いして理解を受け、彼は教会の集会には必ず出席できる事になりました。彼は山本さんといいました。



 救われた後の山本さんは職場でも実によく働き、別人のように成ったと、主人は私が伺うたびごとに喜んでおりました。彼は自分の救いの証詞を月に一度の少年院の友達との面会日になし、さらに聖書を読んで恵みを分つことを自らのなすべきこととして続けていました。そのうち六名の者は、ぜひ共にもっと聖書のお話を聞きたい、知りたいという一念で血判書(けっぱんしょ)を作って、当時の多摩少年院長の太田先生に八王子教会の先生を招いてほしい、と願い出たのです。この結果、教会に調べがきましたが、私が女であること、また年令が二十才代では院内に入れない規則があったので、この血判書はとり下げになりました。それだけに山本さんは熱心に証しのため、少年院に出向いていました。ここに出入する者は正門で持物から身体一切を調べられるのですが、山本さんは何の調べも受けずに中に入れるようになれたのです。


 これこそキリストにある故ですと、彼の主に対する感謝は大きなものでありました。その後、親達のいる横浜に帰ってからも真面目に働いている便りがよく教会に届いておりました。

 死にたる者をも活(い)かし給(たも)う神のみ業を教会員一同心から喜んで、神に感謝すると同時に、ウェングラー師に報告し、遠方からの祈りをも心から感謝しました。



坂本キミ師(1903年~1989年)

坂本 キミ先生

 

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋(きっすい)のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。