月刊アッセンブリーNews 第734号 2016/11/1発行より
「呼ぶ・読む:カラー」 קָרָא
川口神召キリスト伝道所(埼玉県)
安田 眞 Makoto Yasuda
今回は、「呼ぶ、読む」という言葉を取り上げることにします。私たちは、聖書を「旧約聖書」、「新約聖書」と呼びますが、ヘブル語には、「旧約聖書」という言葉がありません。ヘブル語では、旧約聖書をどのように呼んでいるのでしょうか。日本語の旧約聖書は、モーセ五書、歴史書、詩歌書、預言者と4つに分けられていますが、ヘブル語では、3つに分けられています。その頭文字をとって呼ばれています。即ち、「律法(トーラー)、預言者(ネビイム)、諸書(クスゥビム)」から「タナッハ」と呼ばれています。
また、もう一つの呼び方として旧約聖書を「ミ・クラー」と呼びます。「ミ・クラー(カラー)」、「読む・こと」も意味しているからです。本来、旧約聖書は「語られるもの」でしたが、文字に記されるようになると「読まれるもの」に変わりました。人々は、神のみことばが語られる時、その御声を聴くのです。ですから、ユダヤ人の会堂では、聖書は大きな声を出して読まれ、語り続けられてきたのです。その為に、ヘブル語の聖書には、抑揚記号が付けられ、ユダヤ人の会堂では、旧約聖書が詠(うた)うように読まれています。詩篇が詠われたように、聖書は詠われ続けてきているのです。讃美歌や聖歌には、交読文(唱える詩篇)というものがありますが、旧約聖書は、語られるものであり、読まれるものなのです。
最初に、この言葉が記されているのは、創世記1章5節に「名づけた」と使われています。創世記4章26節に「エノシュと名づけた。人々は主の名を呼び始めた」と記されています。「名づけた」と「呼んだ」は同じ言葉です。「エノシュという名で呼んだ」のです。「エノシュ」とは、「人」の意味です。それは、「主(という)名で呼び始めた」からです。新改訳聖書では、「祈った」と訳されています。人が主の御名を呼び求め、祈る時に、主との交わりが始まるのです。