月刊アッセンブリーNews 第725号2016年2月1日発行より

「福 音」

私たちは、時々忙しさや疲れを覚える時、「何か良い事はないか?」と、良い知らせに「慰め」を期待します。

 聖書の中にも「良い知らせ」という意味の単語があります。「福音」という言葉です。原語ではユーアンゲリオン εὐαγγελίου(名詞)またはユーアンゲリゾー εύαγγελιζω(動詞)という言葉で、聖書の中では「(福音を)告げ知らせる」とも訳されます。ルカ1・19や2・10においては同じ言葉が「喜ばしい知らせを伝える」「(大きな喜びを)告げる」と訳されているので、よりわかりやすいのではないでしょうか。

 これは聖書に特有の言葉ではなく、古代ギリシャローマでは「(戦いの)勝利の知らせ」や、皇帝の誕生や即位の知らせもユーアンゲリオンと言いました。ただ、同じ単語を用いていても、その意味するところは全く異なります。

 皇帝が誕生し、即位し、体調が回復するたびに何度も告げられる「良い知らせ」に対し、聖書は、以前から預言されていた変わらない唯一の「良い知らせ(福音)」を主張します。その内容は、イエス・キリストだけが中心であり、預言の救い主、神の御子が人として世に生まれ、私たちの罪のために十字架で死なれ、3日目に甦(よみが)えられ人々の前に現れたという「福音」です。(その為、イエスの生涯とその使信を綴った新約聖書の最初の4冊は福音書と呼ばれています。)

 人としてこの世に生まれ、忙しさや疲れを体験されたイエス・キリスト。理不尽な状況で痛みに耐え、死に至るまで神に従われたイエス・キリスト。私たちの様々な思いをつぶさに理解してくださるお方が、私たちを愛し、心に留め、救ってくださるというこの「良き知らせ」が、いつも私たちを慰め励ましてくれるのです。