月刊アッセンブリーNews 第727号2016年4月1日発行より

「教 会」

先日、私の属する自治会で選挙が行われ、新しい会長が選出されました。このような組織では、代表を決めた上で話し合い、物事を決めていくのが一般的です。 では、聖書は教会の代表(頭[かしら])は誰と記しているでしょうか。

 聖書ギリシャ語で ἐκκλησία は、「集まり・集合」を意味します。当時としては一般的に使われていた言葉で、この単語自体は特別な意味を持っていません。例えば、使徒19・32、39、40においても一般的な集会・会議を意味して同じ語が使われています。しかし、新約聖書で ἐκκλησία が「教会」と訳されている場合、それは単なる人の集まりを指しているのではありません。

 教会はキリストによって定義されます。教会はキリストの体(エペソ1・23)であり、キリストは教会の頭(エペソ5・23、コロ1・18)です。この頭であるキリストは、体なる教会が目指すところであり、同時に頭と体は二分されたものではなく、一つのものとして描かれています。

 教会は人が集まるところではありますが、その代表(頭)は勿論(もちろん)キリストです。キリストを代表として教会が存在します。人が集まってくるわけですから、人間同士の揉事(もめごと)や、議論が起こることもあるでしょう。しかし、教会は人々の意見によるのではなく、神が望まれることが優先されるべきです。キリストよりも自分たちの考えや好みを優先させることがないようにしなければなりません。

 

 新約聖書著者が、ἐκκλησίαという言葉に込めて綴った意味を考え、神の「教会」が単なる人の「集まり」になってしまうことのないようにしたいものです。

※ 使徒19:32,39,40は新共同訳です。
  口語訳・新改訳では19:32,39,41です。


 執筆者:平松 厳 Gen Hiramatsu |桶狭間キリスト教会