信徒のためのヘブル語講座 Vol.9

月刊アッセンブリーNews 第745号 2017/10/1発行より

「幸いなことよ:アシュレー」אַשְׁרֵי 

 

川口神召キリスト伝道所(埼玉県)
安田 眞 Makoto Yasuda

 

「アシュレー、アシュリ―」など、人の名前として使われていることが多くあります。その出所が記されていませんが、聖書に由来すると考えられます。

 それは、詩篇1篇1節の最初の言葉「幸いなことよ」で代表される言葉で、新共同訳では、「いかに幸いなことか」と語りかけるように始められています。この言葉は、詩篇が一番多く、26回を数えます。続いて多いのは、箴言になります。

 しかし、この言葉が最初に使われているのは、申命記33章29節で、「イスラエルよ、あなたはいかに幸いなことか。」とあります。33章は「モーセの祝福」として知られ、死を目前にしたモーセの最後の言葉です。人が死に直面して語る最後の言葉は、感謝か、後悔だと言われています。モーセにとってもこの言葉は、とても重い意味が含まれていたと思います。この事からも「アシュレー」という言葉が、旧約聖書の中でも特別な表現として使われていたと考えられます。特別な語りかけであることが解ります。

 「幸い」とか、「幸せ」などのように個々人でも受け止め方の違いがありますが、自分では気付かない恵みに気付かせるように、この言葉が語られているのです。

 詩篇でも、悪い者と正しい者が対比されていますが、語られた人にとって、何が幸いな人生であるかを知らせているのです。

 それは、神を信じ、律法に従い、主に救われた人生であり、変わらない日常の中にさまざまな感動を見出すことのできる人生に、気付かせようとしているのです。

 朝、目が覚めたことにも感動する、食事が食べられたことに感謝の涙が溢(あふ)れてくる、日常、当たり前と思っていたことに目が向けられるのです。

 主イエスは、山上の説教の冒頭で、「幸いなることよ」(私訳)と語りかけています。主イエスは、人々にとって何が幸いなのかを問いかけているのです。そのように語りかけられて初めて、自分は何が幸いなのかを考え始めるのです。