モーセの十戒に学ぶ (8)

2004年8月1日発行 通巻第587号

サンライズのぞみ教会 三上 友通  Tomomichi Mikami

 

 

 

 

 

《第七戒》

 「姦淫してはならない」
 (出エジプト記20:14)

 

 姦淫に関して、レビ記20章10節から具体的に書かれています。しかし、旧約聖書を読んでいますと、何が姦淫で、何がそうではないのかはっきりしないことが書かれています。ここでは、紙面の関係上細かく考察できませんので、第七戒に関してイエスさまが教えてくださったことを中心に見て行く事にします。

 

イエスさまの教え

 山上の説教で、イエスさまは「『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」と言われました。(マタイ5:27、28節)ここで言う「情欲をいだいて女を見る」とは、どのようなことを意味しているのでしょう。 人格を持った女性を単に肉体としてしか見ないで、自分の好きなようにしたいという欲望と言うことができます。

 言葉の使い方で、「情欲」と「性欲」とを区別しておきたいと思います。情欲は説明しましたように姦淫に結びつくものですが、性欲そのものは神さまが下さった好(よ)いものであり、食欲のように必要なものです。

 第七の戒めとイエスさまの解釈から、情欲をもって女の人を見るだけで戒めを破り、罪を犯したことになります。性欲を持った人聞が情欲を持って女性を見ることは容易に起きうることです。そこで必要になるのが自制です。姦淫を犯しうる事、または、所を避けた方がよい場合もあります。誘惑に勝つことは難しいです。

 それでは、聖書は禁欲主義を教えているのでしょうか。そうではありません。性は神さまが造られたすばらしいものであり、神さまからの祝福でもあり、祝福の源ともなるものです。だからこそ、性のことを大切に扱う必要があるのではないでしょうか。

現代の日本

 日本では「不倫」という言葉が耳慣れて来ましたが、これも姦淫であり、家庭を破壊していきます。その結果、子どもたちが犠牲になり、彼らの人生を台無しにしてしまうことがあります。また、個人の問題を超え、日本の社会問題にもなります。一人が姦淫を犯すことで多くの人が傷つき、苦しむことになります。

 神さまは姦淫に対して、厳しい態度をとられています。旧約聖書の中では、姦淫は死罪でした。今までに性病が万延(まんえn)したことと性的不道徳と関係はなかったでしょうか。二十数年前のアメリカにおけるエイズの感染理由は同性愛者の性行為でした。

不品行

 姦淫は結婚と関連して使われていますが、結婚外も含め性的不道徳に対して「不品行」という言葉が新約聖書の中で40回以上使われています。それらの箇所を探し読まれることをお勧めします。

 最近、同棲生活をして、合うかどうか試してから結婚するということを耳にします。この考え方は、合理的に聞えますが、神さまの御心にかなっていません。

 結婚していなくても愛があればセックスもOKという人も少なくないようですが、この「愛」の中身を考える必要があります。「恋」というものが「愛」のように思われるのです。相手にどのような欠点があっても受け入れることができ、自分が補ってあげられるように思うのです。しかし、恋が覚めた時、欠点はそれ以上の何物でもなくなるのです。恋が覚めた時、本当の愛が大事になってきます。

 神さまが姦淫しないように警告されているのは、私たちが苦しんだり、不幸にならないようにとの神さまの愛からでていることなのです。結婚を大切に扱い、神さまの望まれる家庭を築きたいものですね。勿論、パウロのように独身で主にお仕えする道もすばらしいと聖書に示されています。