中高年をいきいきと(4)

2001年11月1日発行 通巻第554号

イエス・キリストはきのうも今日もいつまでも変わることがない
(ヘブル13:8)

《執筆者:名古屋神召キリスト教会 内村徹母耳》

クリスチャンであればいつでもキリストにあって変えられて福音によって生きていたいと思うでしょう。

 さて人生には大きな峠があると思います。その1としては青年時代の就職と結婚でしょう。自分とは何か、社会の中で自分の占める位置を探り、人間関係で他者と最も深い関係を持とうとします。会社や相手の人を考え、自分を考えるのです。
 もう一つは40代から50代半ばくらいのいわゆる働き盛りの時代です。まわりからは、一家の大黒柱として頼りにされ、会社では中堅となり実質的に会社人間となります。
 この頃は思いのほか、精神的にもろいのです。それは、事がうまく運ばない時周囲の責任に出来ず、多くの場合自分に責任が降りかかってきます。又試行錯誤も許されませんし、そろそろ定年が視野に入ってきます。
 又、会社の中で明らかに自分より能力が劣っていると思われる人が自分より高い評価を受けている現実を受け止めなければならない時もあります。
 又、残された人生を考える時、「自分に出来ることは何か」「できないことは何か」「ぜひしておきたいことは何か」といった事をじっくりと見極める時が中年の課題となります。
 又、自分の事だけを心配していればよい年でなくて、子どもの自立、伴侶との関係の変化、親の死等もおきてくる世代といえます。
 そこで「自分とは何か」 という事を、会社や家庭の中での自分ということを、イエス・キリストと出会って、イエス・キリストを主と告白して福音に生きる者となった我々は、「今」をどうすごしたらよいかをいくつかの点で考えてみます。

①何かをする場合、儲かるか、損するかで考えたり、勝つか、負けるか、又は良いか、悪いかということを基準にしているでしょう。
 儲かればうれしくなるが、損をすると腹立たしくなる。金次第で変わりますね。
 勝つと優越感にひたれるが、負けた人からはどんなに思われるでしょうか。負けるとショックを受け、こんな考えの人は人間関係が良好にならないでしょう。
 良いか、悪いかを考える人は立派といえば立派ですが、人間味、暖かみが不足し、相手を理解するより判断が先になります。
 アッセンブリー誌の読者には、聖書を読み、礼拝をささげ、神を第一にして、社会にいきるとでも記せば簡単明瞭です。
 イエス様がこの私の立場に立った時どう考え、どう見、どう行動されるかを考え、その土台を持って、イエス様ならどうされるかということを現場の中で実行するなら、人々はあなたを通してイエス様がわかってくるのではないでしょうか。自然に無理なく、明るく、どんなことばで語るかでなく、どんな生活をするかで、福音に生きていることがわかります。
②自分を頼りにして生きる、他の人からも頼られて生きる。いくらかの経験も出来て人にも語れるような事もあるかも知れません。
 しかし、本当の心の中をのぞいてみると、知力も、体力も、行動力も、そろそろ不定になるのではないでしょうか。でも頼りにされている。大きなストレスになるでしょう。
 不安がしのびこみます。
 そこで福音に生きるクリスチャンは、救われた時から今に至るまでの神様の守りや導き、説教での励まし、友の祈りの助け等がどれだけあったか、その時も不安でなかったか、保障はどれだけあったか等を考えてみましょう。確実な保障は、どこにもなかった時にも神様が活きておられ導いて下さったのです。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13・8)イエス様が保証です。社会人として、家庭人として自分をみがき向上させる事は大切ですが、それと共に、イエス様が「私を導いていて下さった」との経験に思いあたる時、ストレスは軽くなり、今も力強く、楽しく明るく、そして未来も必ず最善に導いて下さるとの希望にみたされて生きていけるのです。
 こんな保障は、全能の神、愛に満ちた神、父なる神、今も働き続けていて下さる生きた神だから出来るのです。
 どんな環境の中に置かされていても、神の支えがあったように今もあるのです。ハレルヤ。
 神から与えられる平安で心満たされてこの時代を感謝しつつ賛美の心で生活しましょう。
③変化の中で 高年になると、色々な変化が出てきます。
 生活環境、家庭内、会社の生活、健康、収入等の変化がありますが、特に「時間」が「自分」のために自由に用いる事が出来るようになります。
 中年期までは色々な事がやりたくても時間がないため出来ない事が多くあったと思います。思いきってこの与えられた自由の時間を今、神と自分と他者のために用いようではありませんか。
 神と交わる時間はどうですか。教会生活も奉仕をしたいと思いつつも出来なかった事が今はできるのです。家庭の中でも信仰の継承についてもっと時を団欒、人間関係の修復のために用いられるでしょう。神と共に生活すると思いつつも出来なかった事があれば時が与えられた今できるのではないですか。今が恵みの時であり、今日が神の声をきいて従う時です。パウロの如く「私は自分の信じて来た方をよく知っており」と言う者とされましょう。(Ⅱテモテ1:12)