『傾聴の祈り』

新・祈りのコラム(17)

月刊アッセンブリーNEWS  2015年 12月号

フィリピン宣教師 

関本英樹
Hideki Sekimoto

傾聴の祈り

 私達が遣わされている南ミンダナオ教区では、毎週金曜日のお昼にかけて有志の先生方が集い、祈りの時を持っております。この祈祷会では、特にミンダナオ地域の福音が届いていない部族に重荷を持って活動されている先生方が集い、お互いに祈祷課題をあげて祈り、更には福音の未開拓地域、特に中央アジア、中東、北アフリカの地域、諸部族のためのとりなしの祈りもささげております。

 祈る際はそれぞれの言語で祈ったり、異言でも祈りますが、祈祷会の最後には言葉を発することなく、おおよそ15分〜20分ほど静まって神様の御声に耳を傾ける時間を持っております。忙しく活動しているとほんの一瞬の時間のように思えますが、神様の語りかけに集中して聴こうとすると大変長く感じます。これ程多くの恵みの時を逃していた事に気づかされ、考えを改める良い機会となりました。

 第一サムエル記の3章10節では少年サムエルが主の「サムエル、サムエル」という呼びかけに対して、「お話しください。しもべは聞いております」と応答した記述があります。

 しかし実際の日々の生活の中では様々な祈りを神様にささげますが、むしろ、「主よ、静まってお聞きください、しもべが語ります」と一方的に祈り、主の応答に耳を傾ける時間が短い事にも気づかされます。

 神様に聴く祈りを通して少しづつ働きにおいて新たな知恵が与えられたり、この地に遣わされて以来、様々な形で道が開かれた主の恵みを思い起こし、この働きは神様から出ている事だと確信を持つことができます。また、たとえ何も語られなかったように感じても、聖霊様と共に時間を過ごす事が最も貴重で大切なひと時である、と気づかされるのです。