「祈りこそ」

 昨年、東京に住むある姉妹の家が改築することになり、借金コンクリート(?)ながら、新しいビルの建築に踏み出しました。
 工事公告の直後から工事完成間近の今日に至るまで、種々の圧力や試練が続きました。

月刊アッセンブリーNEWS
1990年2月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

 「祈りこそ」

 そんなある日、「大変ですね。私は札幌に住んでいるので、具体的な助けや力になれなくて申し訳ありません。私には祈ることしか出来ませんが、家内と二人で一生懸命祈っていますよと話しました。すると姉妹は、「先生、それで充分です。今私たちに必要な一番の助けは、祈ってくれる人なんです。他の助けは要りません。」とキッパリ言い切ったのです。
 それは三十余年にわたる信仰生活の中で、幾度も幾度も人生の危機に直面し、ひたすら主に信頼して祈り続け、祈りの御力の現実と素晴らしさを、真にその身をもって体験し続けてきた一聖徒のズシリと重い信仰の告白でした。
 また、確かに人間のギリギリの困難や試練の中では、人間的な励ましや小細工は吹き飛んでしまいます。真に頼れるもの、それは祈りしかなく、否、祈りこそあらゆる問題の真の解決、困難よりの勝利、最も具体的かつ実際的助けであることを教えてくれた一言でした。
 事実、私自身これまで何と多くの人々の愛と祈りに支えられてきたことでしょう。今更のように、陰にある祈りの御力のものすごさ実感させられ、と同時に、改めて「御言葉と祈りの奉仕者」として召されている光栄と重い責任を感じつつ、1990年の新年を迎えたところです。

《執筆者》

下道定身

札幌神召キリスト教会
牧師