「ゲッセマネの祈りから」

 仕事はもちろん、学習塾、カルチャークラブなど、あれやこれやと忙しい毎日を過ごす私たちです。知らず知らず、祈りから遠ざかってはいないでしょうか。祈りというとゲツセマネの祈りを思い浮かべる方もあると思います。ゲッセマネの祈りは、目を見張るような大きな事が起こったというものではありません。しかし、血が汗の流れのようにしたたり落ちるほどの激しいイエス様の祈りの姿を示しているのです。

月刊アッセンブリーNEWS
1996年7月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「ゲッセマネの祈りから」

 そうは言っても、「心は熱しているが、肉体が弱い」というみことばが記されています。ここで、眠ってしまった弟子たちにイエス様は「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることができなかったのか。」 (マタイ26:40)と言われています。この「ひと時」とは、1時間です。しかも、三度この様なやりとりがあったことを示しています。そうすると、少なくとも3時間以上の祈りということになります。あるいは「1時間も」ということは、それ以上の2時間は祈っておられたともいえます。そうすると6時間は祈っておられた、と考えることもできます。祈りとは時間の長さだけではないと思いますが、ここでイエス様が言われている祈りについて、私たちはもっと考えなければならないのではないでしょうか。ここで目を覚まして祈るのは、「誘惑に陥らない」ためです。神の霊は前進し、その御業を果たそうとされるが、人間は弱く神の意志に逆らってしまう。罪に弱く、負けてしまうのです。

 祈る時間が少なくなっていませんか。誘惑に陥らないように、いつも神の御業の前進のために、主の様に祈り備えていこうではありませんか。

《執筆者》

高橋 正人

平野キリスト福音教会

(現在は神召キリスト教会に転任)