祈りのコラム (49)

「一人から始まる
   リバイバル」   

 現在の日本のリバイバル運動は、活発に繰り広げられ、クリスチャンのリバイバルへの啓蒙と信仰の成長に刺激を与えてくれています。ミカと言う預言者は田舎の無名の一青年でしたが、彼の預言者としての働きによって、南ユダにリバイバルが起こり、このことはエレミヤ時代にまで記憶されています。

月刊アッセンブリーNEWS
1995年 1月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「一人から始まるリバイバル」

 私たちの教会では毎月一回ですが、リバイバル祈祷会を行っています。聖書のあらゆる角度からリバイバルについて見、真実に神を求めて祈ります。聖書に於いて用いられた人々は、群衆ではなくわずかのしかも無名のただ人です。ですからリバイバルのカギを握っているのは、牧師、伝道者というよりも真実に神を求め、ただひたすら神の救いを待ち望んでいる人ではないでしょうか。毎朝律法的ではなく、真実に神の栄光を求め、物質的なものではなく、神の栄光を求めている人こそ用いられるのではないでしょうか。
 
 異端に入った娘の行方を探すためにご両親が遠隔地から泊まり込みで教会に来られました。ご両親は役職のあった仕事を辞め、地位も名誉も捨てひたすら愛するわが子を救出したい一心でおられます。娘の名前の一字でも聞くと娘を思い出して涙し、どこでどのように過ごしているのか夜も眠れない日があると言われていました。誰かに依頼して、行方を探すことも出来たでしょう。しかし、自分の愛する娘のことはやはり他人まかせではいられないのです。誰に強制されてでも、命令されてでもなく、愛する娘を救いたいというただそれだけの動機なのです。
 
 この世の親でさえこのようであるならば、失われた人間に対する神の思いはいかばかりでしょうか。私たちは神に贖われ、買い取られ、もやは自分の人生でなく、神のために生きるものとして召されています。しかし現実はあまりにも自分が恵まれるための時間と経済と力を費やしているのではないでしょうか。神は自分のことのように神の御旨を自発的に行う人を用いられるのです。私たちは神の愛に裏打ちされ、ただ救われてほしいという一心で、失われた人々のことを思って涙し、昼も夜も神の救いを求め、神の栄光を求めて祈り進んでいきましょう。

《執筆者》

小泉 美早子
(旧姓:中江)

宇部神召キリスト教会
(現在は、橿原キリスト教会に転任)