祈りのコラム (54)

「主の前にひざまづく」   

 私達が祈るときにはいろいろな状態があると思います。喜びが心の中にいっぱいあるときには、神様に心からの感謝を献げる事ができます。また、問題を抱えているときにはその問題を神様に訴えながら、最善の道を開いてくださることを信じて祈ります。あるいは、自分の罪を示されて悔い改めることもあるでしょう。その時に自分の置かれている状況では神さまの前にひざまづく時の心の状態は違うものです。

月刊アッセンブリーNEWS
1999年 2月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「主の前にひざまづく」

 特に、疲れはてているときや深い悲しみの中にあるときには、祈ろう思ってひざまづくのですが、何をどのように祈って良いのかわからなくなってしまうことがありませんか。実は私もこういう状態の時があります。もちろん祈ることはたくさんあって、あのこともこのことも祈ろうと思って座るのですが、頭の中にあるたくさんの祈りの言葉が口にのぼってこないのです。でも祈らなくてはと言葉に出して祈るのですが、心の中が満たされないのです。これはだめだと自分を励まして、また祈るのですが、どうしても祈りの深みに入っていかないのです。そんなとき、私はまずひざまづいて「主よ、私はとても疲れています。」といってありのままの自分を神様に申し上げるのです。あるときは、何も言葉にできなときもありました。でも、主はそんな疲れはてている私を包み込んでくださるのです。ただだまって座りながら神さまを見上げたとき、心の中に暖かい神様の愛が広がって、スポンジが水を吸い込むように元気になっていくのです。そして、また力をいただいて前進することができるのです。

 私達が生活している世界には、たくさんのストレスや問題が私達を押しつぶそうとしています。しかし、キリストの御前にひざまづくなら、それらのものから助け出して下さるのです。

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなた方を休ませてあげます。」(マタイ11:28)というみことばは、求道者の方だけでなく、クリスチャンの一人ひとりにも語られているのです。イエス様こそ私たちの力の源なのです。

《執筆者》

生武 のぞみ

直方キリスト伝道所