祈りのコラム (55)

「変えられた祈り」   

 ある朝、私は、目が覚めるとともに、全身の気怠さとともにひどいめまいを感じました。熱が、39度近くもあったのです。その日は、水曜日で祈祷会の司会になっていたのでした。休まないといけないかもしれないと思いましたが、まだ夜まで時間があるので、はっきりとした意識のないまま祈りました。
 

「熱が下がり、祈祷会の奉仕が出来ますように…。」

月刊アッセンブリーNEWS
1999年 1月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「変えられた祈り」

 祈って少し眠り、少し眠っては祈りを繰り返していると時間は刻々と過ぎ、お昼を少し過ぎた頃、体温を測ってみると朝と余り変わりありませんでした。もちろん体調も変わっていませんでした。諦めようかと思いかけたとき、別の思いが与えられました。「私の願いは、熱が下がることを優先するのではなく、祈祷会の奉仕が出来るようになることの方を優先しなければならない。」
 
 祈りは、全身の気怠さとめまいを癒していただくこと、つまり、体調の回復を願うことに変わりました。
 
 そのことを熱心に祈っていると少しずつ体調が回復していきました。夕方には熱は下がっていなかったのですが、体調はその日の奉仕が出来る程度まで回復していました。そして奉仕を終えて帰宅後もう一度体温を測ってみるとまだ熱は下がっていなかったのです。
 
 創世記18章に、アブラハムが主にソドムの町を赦すことを願うところがあります。「もし、50人の正しい人たちがいたら…もし、10人見つかったら…」50人・45人・30人・20人・10人と、正しい人がいたら赦すことをアブラハムは願いました。彼の願いは、変わっていったのです。
 
 私の祈りも変わりました。いいえ変えられました。祈りは同じ願いを何度も繰り返すだけではなく、祈りを通して神の御心を聞き、そして祈りが御心に近づいていくことを私はこの不思議な体験から知ることが出来たのです。これからも願いの一方通行ではなく御心を聞く祈りをしていきたいと思います。

《執筆者》

城之木 勝

小倉シオン伝道所
(現在、唐津聖書教会に転任)