祈りのコラム (60)

「祈りの生活」   

 主イエスを信じている現在と以前の生活を比べてみる時に、様々に変えられている事があるでしょう。何しろ、罪が赦されて、主イエスの命に生かされているのですから。

 祈る事を教えられ、祈れるように導かれ、祈る事によって生活しているクリスチャンは、幸いだと思います。なぜなら、祈れるのは、クリスチャンだけだからです。

月刊アッセンブリーNEWS
1990年 7月号掲載

月刊アッセンブリーNEWS 1989-1999に連載された「祈りのコラム」からいくつかピックアップして掲載。
あなたの祈りの生活に励ましを与える小品集です。

「祈りの生活」

 

 人が神によって創造された事はそれを認めようが、認めまいが明からです。それは、人は知らず知らずのうちにも祈りたいという心をもつ者だからです。教えられなくても、手と手を合わせたくなる、拝みたくなる、願いを聞き届けてもらいたいという思うなどは、自分中心な願いであったとしても、「何者」かに祈るという心にもよるものでしょう。

 残念な事に、誰に何をどのように祈るのか知らずにいるのです。かつては私達もそうだったかもしれません。でも今は、主イエスの名によって、父なる神に、聖霊によって祈ることができるようになりました。幼児が回らない舌で父親に親しみ語りかけるように、私達も、「アバ、父よ」と呼びかけ、近づく事ができます。

 神に語り、神に語りかけていただき、霊の交わりを持ち続ける事ができるのは、何という大きな恵みであり、特権でしょうか。クリスチャンは、この神との交わりによって、日々新しい命の中に歩むことがきるのです。

 私達にとって、良い日も、思いがけない苦しみの中にうめく日もあるでしょう。すべての事において神との霊の交わりの中に、力をいただく事ができます。

 「絶えず祈りなさい」と、励まし、勧めて下さる方に、なお祈り、祈りによる生活を続けましょう。

《執筆者》

廣瀬 晴代

(旧姓:愛敬)

人吉キリスト教会
(現在は、尼崎神召キリスト教会に転任)