モーセの十戒に学ぶ (7)

2004年7月1日発行 通巻第586号

サンライズのぞみ教会 三上 友通  Tomomichi Mikami

 

 

 

 

 

《第六戒》

 「殺してはならない」
 (出エジプト記20:13)

 

 これは単純明快な戒めです。殺してよいと思う人は普通いないでしょう。しかし、最近なぜ殺してはいけないのかわからない人が増えていると言われています。リセットすると生き返るテレビゲームに心が鈍感にされているのでしょうか。

人は神のかたちに造られた

 神さまは「人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。」(創世記9:6)と言われました。つまり私たちは神さまのかたちに造られているので、大変尊い存在であるというのです。ここでは紙面の関係で次の二点について考察することができませんので、皆さんがご自分で調べてみることをお勧めします。

 第一点は神さまのかたちに造られた私たちはどのように神さまと似ているのかということです。

 第二点は自らの命をもって償うという原則が示されていますが、神さまは死刑制度を肯定しておられるのかということです。

 人は、神さまのかたちに造られ、神さまによって造られたゆえに、神さまにとって私たち人間は、高価で尊い存在なのです。そして、「殺してはいけない」と主が命令されました。

イエスさまの解釈

 イエスさまは山上の説教の中で「兄弟に向かって腹を立てる者」、「兄弟に向かって『能なし。』と言うような者」は裁きを受けなければならないと言われました。(マタイ5:22)

 腹を立てる(殺してやりたいと思う)だけで殺したことと同じであると言うのです。また、人を「ばか者」と言っただけで、殺人を犯したのと同じなのです。

 神さまが造られた尊い存在の人間をそれ以下に思ったり、言うことは、その人がいない方がいいと思ったり、言うことであり、その人を抹消しようとすることで、殺すことと同じように裁かれるとイエスさまは、一言われます。

 このように考えますと、今まで何人の人を殺してきたのだろうとぞっとしてしまいます。イエスさまは罪深い私たちを赦すために十字架にかけられ、苦しめられたのですね。日本でも上映された映画「パッション」[2004年公開]に出てくるイエスさまの受難と自分の受けるべき裁きがだぶり、ただ主に感謝するのみです。

第六戒と社会問題

 まず、堕胎に関してですが、日本では、昔からなされてきました。

 このことに関しては「ちいさないのちを守る会」が堕胎によって失われるいのちを守る活動をしてきました。堕胎は、生まれてきて不憫(ふびん)な思いをさせるよりは、生まれない方が幸せなどと、いかにも子どものことを考えているようですが、生きようとする胎児の神さまに与えられたいのちをとることになるのです。

 次に戦争のことをみてみましょう。戦争は誰が考えても良いとは思えないのですが、実際に戦争は無くなりません。聖書の中にイスラエルの民族が約束の地に入ったとき、聖絶することを主に示されます。聖戦という名の下に多くの人々が殺されました。しかし、イエスさまの教えとは、違うようです。敵をも愛し、迫害する者のために祈りなさいと教えてくださいました。

 イラク戦争[2003年]は、私たちに疑問を投げかけました。多くのクリスチャンたちが、イラク戦争を支持しました。勿論反対したクリスチャンも沢山いました。どうしてクリスチャンが人を殺すことになる戦争を支持するのでしょう。それは、その人たちの経験に左右されているのです。2001年9月11日にあったテロ[アメリカ国内で起こった同時多発テロ]]の被害に関係のあった人たちの中に支持者が多かったような気がします。聖書から見た意見ではなかったようです。

 この他、前にもふれた死刑、安楽死など、生命操作が容易になった現在だからこそ、クリスチャンとしてヒューマニズムなどに惑わされずに聖書に照らし合わせ、いのちについて考えていく必要があるのではないでしょうか。