中高年をいきいきと
中高年をいきいきと(4)
2001年11月1日発行 通巻第554号 クリスチャンであればいつでもキリストにあって変えられて福音によって生きていたいと思うでしょう。 さて人生には大きな峠があると思います。その1としては青年時代の就職と結婚でしょう […]
中高年をいきいきと(3)
私が献身前に会社に勤めていた頃の話です。Fさんという上司がおりまして、その方はとても仕事(営業)ができ自信に満ちておりました。あるときのこと、営業部署での飲み会に4次会まで付き合い、そして10人が4人までになったときに彼は「おい土屋!呑み助の気持ちがわかるか。呑み助はな、君のようにウーロン茶でもいい、とにかく俺の愚痴を聞いてつきあってくれるだけでいいんだ!」 普段の彼はどこにあるのかと疑うほどに会社に、上司に、顧客に、そして奥さん(スチュワーデスをしていたときに、Fさんが押しの一手でゴールイン)に対して愚痴っていたのです。
中高年をいきいきと(2)
主がたてられた教会に対して、キリスト者には課せられた責任があります。その一つは福音宣教という大使命の中での「教会の継続と発展」です。継続とはみ言葉に基づくところの純粋性(どんな時代でもみ言葉を割引かない。即ち ー あなたこそ、生ける神の子キリストです。マタイ16:16~)であり、発展とは福音宣教の拡大(地に満たす。|全世界に出て行って、すべて造られたものに福音を宣べ伝えよ。マルコ16:15~)です。
中高年をいきいきと(1)
《執筆者:アッセンブリー新潟キリスト教会 土屋 潔》
先ず私たちはこのテーマで進めていく前に「中高年」とはどこまでを指しているのかを確認することにしましょう。「中高年」と一口に言っても様々な見解があります。広辞苑では「中年と高年。青年期を過ぎて老年期に至る間の年ごろ」。大辞林では「45歳以上65歳程度の人をいう」。