コラム・メッセージ
vol.70- colum 「ままごと」

小さい頃、盲腸炎の手術をするのが得意でした。もちろん、「ままごと」の話です。遊び友達にとっては大迷惑だったでしょうが、竹べらをメスの代わりに外科医のまねごとをよくしたものです。「ままごと」は、神様が私たち人間に与えて下さっているいろいろな能力のなかで、もっともすばらしいものの一つではないかと思います。

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vol.69- colum 「漁師ヨハネの結語」

いよいよ最終回になりました。漁師ヨハネが書き綴った内容の深いこの手紙をもっと詳しく紹介することが出来ないのが残念ですが、彼のユニークな手紙の結語をとり上げて、「みことばの散歩道」を閉じることにいたします。

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vol.68- colum 「愛することと知ること」

結婚のプロポーズをするのに、通りすがりの女性を捕まえる人は先ずないと思います。健全で、長続きのする結婚生活を考えているなら、決断をするまでに、相手についてできる限りのことを知ろうとします。

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vol.67- colum 「水菓子ひとつ」

英国の緑濃い田園風景。
 古都オックスフォードの、静かなたたずまい。
 そして、水辺に憩う2人の語らい。
 大きなバスケットには、とりたての、みずみずしいイチゴがいっぱいです。
 「幸せかい?」
 「ええ」…

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vol.66- colum 「接点を持った交わり」

キリスト教会のシンボルである十字架にはいくつかの象徴的な意味があります。一つは処刑の道具としての十字架です。主イエス・キリストは処刑される正当な理由の無いまま、十字架につけられて殺されました。

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vol.65- colum 「三角関係」

「三角関係」というと、なんだかやっかいなことが起こりそうな雰囲気を連想します。…

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vol.64- colum 「交わり」か「接触」か

たまらなく淋しいと悩んでいる人がいます。一人や二人ではなく、私たちの周りに大勢います。時には淋しい人が、淋しくない人よりも多いのではないかと思うことがあるほどです。都会に行けば、一時的に気を紛らわせる手段がいやというほどあります。そうした「催しもの」はいつも町を賑わしております。

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vol.63- colum 「私」の宗教か「私たち」の福音か

私は私一人だけでは生きることができません。「人」という字は、一人の人が股をひろげて立っている姿を描いたものだという説がありますが、むしろ、二人の人が互いに頼り合って人となる、と見た方が筋が通るのではないかと思います。

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vol.62- colum「ハスの花のように」

ハス寺で名高い、東京は町田市の円林寺で、しっとりとした桃色の、大きなハスの花を見たときの実感です。このハスは、2000年前のタネから、大賀一郎博士がみごとに咲かせた、いわゆる大賀ハス。一面に気品をただよわせています。

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vol.61- colum「いのちのことば」

「みことばの散歩道」という欄を与えられて書き出してから、これで5回目になります。ところが、老ヨハネの手紙の最初の節でぐずぐずしているものですから、いつ散歩に出かけるのだという声が間こえてきそうです。

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vol.60- colum「聞く」「聴く」

「わかっているのだけれどもなかなか信じられない。」という人によく出会います。この告白からすると、納得と信仰は全く別物だと言えそうです。

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vol.59- colum「言を聞いて、見て、触れたヨハネ」

とにかく使徒ヨハネは一風変わった手紙の書き方をしています。こんな文章で始めているのです。
 「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて…」
  (ヨハネの手紙第一 1章1節|新改訳)

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