コラム・メッセージ
vol.42- column「一期一会(いちごいちえ)」

一昨年の8月の末に教会員の母親の葬儀をした。僕が市立病院へ検査入院した時にその方も入院しておられた。僕が607号室でその方は606号室、入口をはいってすく左側のベッドだった。

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vol.41- column「吉野山」

先年の 5月の末に、牧師仲間4人で小旅行 を試みた。 1 年 1 回の恒例である。京都を出、 奈良明日香村のなんともたおやかで、優しい風景に 目をなごませた。

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vol.40- column『突然、天から』

それは、一人の御婦人の突然の来訪から始まった。葬儀の依頼だった。話を伺うと、御主人の父娘で何んと百六才の御方なのだそうだ。お国は隣国、韓国の方で、九三才の時に苫小牧在住の御長男のもとへ身を寄せられた。

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vol.39- column 「母の位牌」

「五十嵐源吉六女フサ井行年二十七才昭和十三年一月二十五日横須賀市追濱區一二八四大坂新次妻二嫁シ節子、克典ノ二児ヲ挙ゲ昭和一六年一二月三十一日當家二於テ病死ス、依テ若松市二於テ火葬ニ附シ遺骨ヲ分骨シテ當家二安置後チ元實家布藤村墓地實母ノ傍二埋没シテ其霊ヲ慰ムルモノナリ」

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vol.38- column 「ボチダサン アンド チビポッチャン」

わが家には犬が二匹いる。一匹は飼いはじめてからもう九年になる。上の息子が大学受験をする年の冬のことだった。高校の近くにある弁当屋の前でウロウ口している子犬に出合った。

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vol.37- column 「寅のこと」

去年哀しかったこと。それは、あの寅が死んだことだ。寅と言っても猫ではない。「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯(うぶゆ)をつかい、姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」この寅である。

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vol.36- column 「必要なもの」

人間にとって本当に必要なものは、何と何でしょうか。病気の人には健康、力のない人には力、お金のない人にはあ金、その他、美しさ、知識も必要だと思うでしょう。しかし、本当に必要なものは、すべてをつくり、支配しておられる神様と一緒に生きることです。

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vol.35- column 「クリスマスをあなたのものに…」

私の故郷は人口が一万人ほどの太平洋に囲まれた小さな町である。山から見おろす海が格別で、私はその静かな町が好きであった。高校を卒業するまでキリスト教とは無縁の生活をそこですごした。

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vol.34- column 「クリスマスをもっと楽しく」

クリスマスがイエス・キリストの誕生を祝うものであることは、日本でも多くの人が知るところとなりました。世界中で祝われるその誕生の意味について、聖書にはっきりと書かれています。

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vol.33- column 「きよしこの夜」

1818年、オース卜リアのチロル地方にある、オーベルンドルフという人里離れた村でのことです。村の教会では、クリスマスを前にして、オルガンがこわれてしまいました。牧師のヨーゼフ・モールは、せっかくのクリスマスにオルガンが使えないことで、とてもがっかりしていました。

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vol.32- column はじめてのクリスマス

私がはじめて教室でのクリスマスを過ごしたのは小学校3年生の時のことです。クリスマスの数カ月前から.友達に誘われて日曜学校に通っていましたが、キリスト教会でのクリスマスははじめてでした。

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vol.31- column『家庭学校』

《執筆者:大坂克典》オホーツク海に近い遠軽町から2キロ程のところに留岡と言う字(あざ)がある.そこに、北海道家庭学校がある。

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