祈りのコラム
祈りのコラム (7)
《執筆者》柿崎昭司
『激しい大雨の音がする』
昨年の九月、私はリバイバルを体験するためにアメリカ(ペンサコーラのブランズビルアッセンブリーチャーチ)と韓国を訪問致しました。私は聖霊の圧倒的な能力(ちから)を霊と心と身体で実感し、やがてこの日本にも聖霊の大リバイバルが起こることを改めて確信し祈りつづけております。
祈りのコラム (6)
《執筆者》澁谷友光
「祈りを楽しむ」
昨年度の私たちの教会の標語は、「祈りの家」であり、イザヤ書56章7節のみことばをいただきました。そこでは、神御自身が私たちを聖なる山に連れて行き、祈りの家で楽しませてくださると語られています。
祈りのコラム (5)
《執筆者》山田亘
「祈りは主のみ手を動かす」
私の体には百針の傷跡があります。それは虚血性心疾患のため、せまくなってしまった冠状動脈を足の血管をもってつなぎかえるという外科手術を受けたからです。
あれは1989年9月12日でした。「普通手術の時間が十時間かかるなら、あなたの場合はそれ以上はかかるでしょう。手街が成功して集中治療室に移されても病室に一戻れるのは三日以上かかるでしょう」と覚悟をさせられました。
祈りのコラム (4)
《執筆者》大塚学
「コツコツがコツ!?」
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」
私が今までの伝道牧会を振り返って、教えられるその一つは、たとい信徒の数が少数であり、財力が貧弱であっても、牧師と信徒が一致協力して御言を他に伝えて、一人でも救われる人をキリストに導き入れたいという熱意に燃えている時は、教会の生命が充実し発展している時だということです。
祈りのコラム (3)
《執筆者》伊藤博
「主に用いられる人」
「絶えず祈りなさい。」(Ⅰテサロニケ1:17)
クリスチャンは主に用いられ、神の栄光を現わすことのできる幸いを、イエス様によって与えられている。
しかし、主に用いられる人は、人間的能力や優秀さ、人柄あるいは信仰歴といったものより、その人がいかに主の前に祈る人であるか、という点が問われることを知らなければならない。
祈りのコラム (2)
《執筆者》下道定身
「祈りこそ」
昨年、東京に住むある姉妹の家が改築することになり、借金コンクリート(?)ながら、新しいビルの建築に踏み出しました。
工事公告の直後から工事完成間近の今日に至るまで、種々の圧力や試練が続きました。
祈りのコラム (1)
《執筆者》大坂克典
「祈り育てる!」生来、私は怠け者だ。朝はゆっくり寝ていたいし、夜は早く寝床にもぐりこみたい。そんな私が毎朝6時半頃に起きてお祈りするようになったのは、1983年5月17日からで、今年の5月がくると丸6年になる。