祈りのコラム

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祈りのコラム (19)

《執筆者:佐藤羊一》
祈りについて勉強する方法はあります。たとえば、祈りについての本を読むことは大切なことでしょう。私自身、ある時期は、祈りに関する本を読んで、祈りについてわかったように考えていました。私たちは、聖書を読むときでも同じですが、本を読んだだけであたかもその知識が自分のものになったように錯覚することがあります。このことは「祈り」においても同し事です。

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祈りのコラム (18)

《執筆者:小田島幹彦》
時代の流れでしょうか。最近、祈祷会出席者の減少傾向が見られます。「教会の原動力は祈りにあります。」「リバイバルは祈りから。」と声高に叫んでみてもこの傾向に歯止めをかけられないでいます。考えてみると、夕食もそこそこに、ある人は夕食もとらずに疲れた身体に鞭打って集会に出てくるのです。これは大変なことです。

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祈りのコラム (17)

《執筆者:藤村良彦》
 藤沢市において開拓を始めて一年がたちました。私のクリスチャン生活の中で一番祈りに時間を割いた年でした。と言うよりも、祈るることしかできなかったというのが正直なところです。高校時代を過ごした場所ではありましたが、礼拝を共にする人は誰もおらず、しばらくは子供たちばかりが集う集会でした。それでも当初より日曜日に2回の礼拝会、平日の祈祷会を掲げていたためか、それらの集会にはいつも参加者が与えられました(誰もいない日曜日には駅前に行き、声をかけては教会に誘っていたため、時にはナンパや誘拐犯に間違われもしましたが…)。

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祈りのコラム (16)

《執筆者:木下重夫》
 「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」(創世記32:26)
 ヤコブは、かつて兄エサウをだまして、神の祝福を奪い、兄の怨恨をかい、家から逃げ出しました。後年、神の命令で兄のもとへの帰途につきます。不安が彼の心をよぎったことでしょう。もしかしたら兄の報復にあって、殺されるかも知れません。冒頭の言葉は、その途上、ヤボクの渡し場におけるヤコブの格闘の時のものです。

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祈りのコラム (15)

《執筆者:布施勉》
家庭を開放し、祈りと伝道に励む婦人たちが起こされてきた。ニ人の姉妹は毎週土曜日、朝食を献げて析り会を始めた。間もなくご主人が個人的に教会に来られ、キリストを信じて救われた。続いて家族の方々が礼拝に導かれている。また知人にも声をかけ、祈り会に加わった時には証し伝道をしているのである。

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祈りのコラム
祈りのコラム (14)

《執筆者:柿谷悟》
土佐弁に「なんちゃじゃない」というのがあります。「むなしい」、「意味がない」、「大して重要ではない」といった意味です。私たちの奉仕がイエス様に「なんちゃじゃない」と言われたら虚しいことこの上なしです。「よくやった。良い患実な僕だ」とイエス様に評価していただきたいものです。

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祈りのコラム (13)

《執筆者:渡辺喜平》
 日本のクリスチャンだけではなく、諸外国のクリスチャンたちも、日本のリパイパルを熱心に祈っていて下さる昨今です。また、ひたすらただその一事を願って天に召されていった多くの聖徒たちがいます。頂度へブル人への手紙11章39節のみ言葉にあるようにです。

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祈りのコラム (12)

《執筆者:渡辺正晴》
毎朝、聖書をひもとき、上よりの恵みを求めて祈る。その時「楽しき祈りよ」の聖歌が心にうかび、祈りを心の底から楽しむ者になりたいと強く願う。しかし、祈りを「おつとめ」のように思ったり、或いは言葉だけを唱える「お題目」のようになったりして、自分の祈りの貧しさを恥じ入るのみである。

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祈りのコラム (11)

《執筆者:楠橋清隆》
 クリスチャンの慣用句に、「祈っています」とか「祈って下さい」という言葉がある。私も色々な場面で使い、祈り合うことの素晴らしさを体験している。ところが、時に挨拶代わりに交わされて、真剣に祈ってもいないのに「祈っています」と言い、期待もしていないのに「祈って下さい」と言葉だけが先行していることに愕然とする事がある。「祈ります」と言ったからにはとことん祈りの手を挙げたい、「祈って下さい」と言ったからには結果を報告するくらいの真実さを持ちたい。

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祈りのコラム (10)

《執筆者:佐野兼司》
教団創立三十年史『御霊に導かれて』という本があります。私たちの教団の歴史が記されている本ですが、これを読むと、いつも不思議な感動に支配され、心のうちに熱いものがこみあげてきます。聖霊によって生み出され、聖霊によって導かれてきた私たちの教団の歴史をたどるうちに、『主よ。小さい者ですが、この私をも福音のために用いてください。」と祈らずにはおれなくなるのです。

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祈りのコラム (9)

《執筆者:杉浦友信》
人口58万人、平均年齢38歳、ペンテコステ教会皆無の相模原市に開拓を始め、この4月で7年が経とうとしている。誰からの援助もない、自主開拓伝道であったが、多くの方々の篤き祈りに助けられ、温かい励ましの言葉に慰められ、伝道の業を続けられたことは、本当に感謝の一言である。

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祈りのコラム (8)

《執筆者:久保田潔》
『夜もふけるままに神を思う祈り』
「わたしが床の上であなたを思いだし、夜のふけるままにあなたそ深く思うとき…」(詩篇63:5)
 この詩篇は表題通りとみるなら、ダビデが最愛の息子アブサロムの反逆を知って、命からがら課足でわずかな部下と共に王宮を説出し、ユダの荒野をさまよう場面が背景になっています。

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