vol.63- colum 「私」の宗教か「私たち」の福音か
私は私一人だけでは生きることができません。「人」という字は、一人の人が股をひろげて立っている姿を描いたものだという説がありますが、むしろ、二人の人が互いに頼り合って人となる、と見た方が筋が通るのではないかと思います。
vol.62- colum「ハスの花のように」
ハス寺で名高い、東京は町田市の円林寺で、しっとりとした桃色の、大きなハスの花を見たときの実感です。このハスは、2000年前のタネから、大賀一郎博士がみごとに咲かせた、いわゆる大賀ハス。一面に気品をただよわせています。
vol.61- colum「いのちのことば」
「みことばの散歩道」という欄を与えられて書き出してから、これで5回目になります。ところが、老ヨハネの手紙の最初の節でぐずぐずしているものですから、いつ散歩に出かけるのだという声が間こえてきそうです。
vol.59- colum「言を聞いて、見て、触れたヨハネ」
とにかく使徒ヨハネは一風変わった手紙の書き方をしています。こんな文章で始めているのです。
「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて…」
(ヨハネの手紙第一 1章1節|新改訳)
vol.58- colum「父のうしろ姿」
あざやかな、青柴、淡紅色の楽陽花が、石畳の階段をはさんで、緑の山一面、満開です。
「見事ですねえ。」
つい、近くのおじいさんに声をかけてしまいました。大きくうなずいて、しみじみといわれた、お年寄りのことばが忘れられません。
vol.57- colum「初めからあったもの」
科学者はまず観察から仕事を始めます。見て、聞いて、触って、測って、分析して、それからあらかじめ設定されていた仮説を証明しようとします。ヨハネの手紙の書き出しを見ますと、「私たちが聞いたもの、目でみたもの、じっと見、また手でさわったもの」と科学者のような観察手順が丁寧に並べられています。
vol.56- colum「時候の挨拶を抜いた手紙」
近年、手紙を書くのにあまり形式にこだわらなくても良いと言う声をあちこちから耳にします。それでも、冬ならば、「寒さがひとしを身にしみる毎日ですが…」、春がくると、「うららかな春の日差しに…」などのひと言を入れなければ、筆が進まないという人がまだまだ多いようです。
vol.55- colum「漁師ヨハネの筆まめ」
大学教授とか文筆家ならともかく、一漁師が筆まめというのはあまり聞いたことがありません。細いペンをそっと持ち、精魂こめて何時間も机の前に座っているような習慣は、職業柄、漁師の身についているとは思えないのです。
vol.54- colum「成長させて下さるのは神」
私は大学を卒業して5年間、公立の小、中学校の教師として勤務しました。最初の一年目は中学校で、全校9クラスの音楽と、一年生3クラスの英語を担当しました。教師生活にも何とか慣れた12月、ボーナスをいただいた日のことでした。
vol.53- colum「祖父の思い出」
私が大学4年生の夏休みの時のことでした。母方の祖母の墓参りに、親族が集まって、皆久しぶりの再会に喜びにぎわっていました。小さい孫たちは走りまわっていました。でも一人祖父だけが遠い空の方を見つめて立っていました。私は祖父の心を理解する力などありませんでしたが、寂しさが伝わってきました。
vol.52- colum「私のほんとうの教師」
1960年(昭和35年)は、安保闘争で日本全土が揺れ動いた年でした。この騒然とした年に、私は福島大学に入学しました。毎朝校門で抱えきれないほどのビラが手渡されました。私は国家のことや、世界状勢のことなどは、教科書で学んでいても、直接自分にかかわることとして考えたことがありませんでした。