新・祈りのコラム (21)
《執筆者:浦野秀一》
ある日、知人を訪問しようとした私の取の中に、「今行くと迷惑だろうか」との思いがわき、不安になりました。心を決めて行きますが、時々、「今はタイミングが悪いかもしれない」と考えて訪問ができなくなることがあります。
新・祈りのコラム (20)
《執筆者:神山茂紀》
私たちの信仰生活において最も大切なものは祈りであると言えるかもしれません。祈りは魂の呼吸であると言われるほど、習慣として、または当然のものとしてなくてはならないものであるでしょう。
新・祈りのコラム (19)
《執筆者:久保田 顕》
昨年の秋に教会にある椅子に足を勢いよくぶつけました。その週の祈祷会で少し場が和むようにとその失敗談を話したのですが、集会後にある方が「お祈りします。」と声をかけてくださいました。
新・祈りのコラム (18)
《執筆者:安東聖樹》
私が三田の地に遣わされ、この3月で丸11年を迎えようとしている。こちらに赴任した当初は、教会の車を購入し、会堂を購入し、教会も順調に成長している様に思えた。
新・祈りのコラム (17)
《執筆者:関本英樹》
私達が遣わされている南ミンダナオ教区では、毎週金曜日のお昼にかけて有志の先生方が集い、祈りの時を持っております。この祈祷会では、特にミンダナオ地域の福音が届いていない部族に重荷を持って活動されている先生方が集い、お互いに祈祷課題をあげて祈り、更には福音の未開拓地域、特に中央アジア、中東、北アフリカの地域、諸部族のためのとりなしの祈りもささげております。
新・祈りのコラム (16)
《執筆者:木﨑オリビア》
祈りは、神様とのコミュニケーションです。いつでも、どこでも全能の神に呼びかけることができるのは特権であり祝福です。私の祈りを全宇宙の創造主が聞いてくださることに驚かされます。
新・祈りのコラム (15)
《執筆者:大笹月江》
朝の静けさの中で、主のみもとに導かれ、主の御名を崇め誉め讃(たた)え、御言葉をいただき味わう。主の御言葉はわたしを慰め励まし、希望を与えてくださる。祈るための力を注いでくださる。
新・祈りのコラム (14)
《執筆者:布施トシ枝》
私は受洗した直後にとても弱さを覚え、どうしても聖霊のバプテスマを受けたいと願いました。関東聖会に泊まり込みで出席し、祈り求めた時に、異言の祈りが湧き出るように口から流れてきました。あの感動は忘れられません。祈ることが楽しくなりました。
新・祈りのコラム (13)
《執筆者:土屋 康》
エルサレムの贖(あがな)いを待ち望み、宮を離れず、昼も夜も断食と祈りをもって神に仕えていた女預言者アンナは、私がめざす器の一人です。
新・祈りのコラム (12)
《執筆者:峯岸邦子》
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ人への手紙6章18節)
新・祈りのコラム (11)
《執筆者:佐野兼司》
「主よ、今こそ彼の脅(おど)しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」
(使徒言行録4章29節 新共同訳)
新・祈りのコラム (10)
《執筆者:森田さゑ子》
私たちは、旧・新約聖書に、信仰の先人たちがどのように神様に祈り求め、神様ご自身によって信仰の歩みを導かれたかを学ぶことができます。