コラム・メッセージ
vol.54- colum「成長させて下さるのは神」

私は大学を卒業して5年間、公立の小、中学校の教師として勤務しました。最初の一年目は中学校で、全校9クラスの音楽と、一年生3クラスの英語を担当しました。教師生活にも何とか慣れた12月、ボーナスをいただいた日のことでした。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.53- colum「祖父の思い出」

私が大学4年生の夏休みの時のことでした。母方の祖母の墓参りに、親族が集まって、皆久しぶりの再会に喜びにぎわっていました。小さい孫たちは走りまわっていました。でも一人祖父だけが遠い空の方を見つめて立っていました。私は祖父の心を理解する力などありませんでしたが、寂しさが伝わってきました。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.52- colum「私のほんとうの教師」

1960年(昭和35年)は、安保闘争で日本全土が揺れ動いた年でした。この騒然とした年に、私は福島大学に入学しました。毎朝校門で抱えきれないほどのビラが手渡されました。私は国家のことや、世界状勢のことなどは、教科書で学んでいても、直接自分にかかわることとして考えたことがありませんでした。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.51- colum「私の出会った偉大な言葉」

高校一年生の秋の頃、私はアンダーソン先生との出会いを通して、はじめてバイブルクラスに出席しました。そこで先生は英語で聖書のお話をされ、先募の男子生徒が通訳してくれました。私は通訳する先輩の語学力にもびっくりしましたが、話の内容にはもっとびっくりしました。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.50- colum「私の出会った素敵な人」

昭和32年、私は二本松の町にある県立高校に入学しました。田舎育ちの私は、この町ではじめて外国人に出会ったのです。 目の青い金髪のおばあさんでした。 名前はマリヤ・アンダーソンといい、アメリカ人の宣教師でした。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.49- column「新しいスタート」

子供たちにとって、4月はいつも新しいスタートの時です。新しい先生や友だちとの出会いの時。ちょっぴり不安な心を抱きながら新しい未知の世界に好奇心を持って踏み出していく、あのドキドキする子供の頃の春の喜びを、私は久しぶりに思い出しています

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.48- column「つくる」

浜松市に住む友人から、食パンを頂いた。
色白ではないが、しっとりとして重く、トースターから香ばしいかおりが漂ってきた。噛みごたえのある実に味わい深いパン。聞くところによると、先ず麦を栽培し、全粒粉を使用しているそうである。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.47- column「神様からの贈り物」

私のコンビューターが、いきなり世界中の情報神経網と接続され、机の前で居ながらにして、ケネディ一宇宙センターに行って、スペース・シャトルに関する情報を提供してくれる。わーっ凄い!と思わずその情報の深さに驚嘆してしまう。また、私は身近にあるホームぺージを闘いた。そこには主人の病気に関する情報があり、無料で情報爆供されているので取得は可能。私たちの人間関係も徐々にネットワークされている。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.46- column「名前が時ばれる時」

難関を突厳して入学した学舎(まなびや)、入社した職場等々で、新しい生活がスタートして早ーヵ月が過ぎようとしている今日この頃、皆さんは自分の名前を正確に呼ばれ、輝かしい晴々とした気持で「ハイッ」と返事をした時のことを思い起してください。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.45- column「美しい笑顔」

今年の年賀状に「神は見て、ぞれを良しとされた」と、聖書のおことばを記しました。天地創造の業をなされた神は、その都度、結果に対し笑顔で、微笑(ほほえ)んでうなずかれました。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.44- column「いのち」

いのちがある、という事は、生きている、という事

 今日は、いかされていることについていくつか書いてみようと思います。

続きを読む
コラム・メッセージ
vol.43- column「進む道は安心」

未曾有(みぞう)の大惨事となった阪神・淡路大震災、交通が寸断されている事を承知の上で、私と腹話術人形を載せて、東の空がやっと明るくなろうとする早朝、岐阜を出発し、車は西へと向いました。

続きを読む