新・祈りのコラム (8)
《執筆者:北澤成弘》
「こうして、ペトロは牢(ろう)に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」(使徒言行録12章5節:新共同訳)
新・祈りのコラム (6)
《執筆者:篠塚俊男》
祈りのすばらしさは、神様であるイエス様を意識して祈れることです。イエス様を知らなければ、祈りは漠然としていたにも関わらず、救われた今は、イエス様の御名によって祈れるということです。
新・祈りのコラム (5)
《執筆者:寺田文雄》
開拓から私たちの教会を支えてきた柱として、年2回の断食祈祷聖会をあげることができます。2泊3日の日程で、教会全体に呼びかけます。時期は年によって変わりますが、教会堂を利用し外部講師は招かず、自分達で準備します。費用はかからず、大変恵まれます。
新・祈りのコラム (4)
《執筆者:小渡よしあ》
今年は、主日礼拝において主の祈りをテーマにメッセージをしています。教会の毎週の礼拝で、毎日の祈りの中で『主の祈り』を身近な祈りとしていますが、私自身、改めて主の祈りを学ぶことによって、主の祈りのすばらしさを味わっています。
新・祈りのコラム (2)
《執筆者:阿部栄子》
ある日、東京電力の方から電話が「コンビニが近くに出来る為、電柱を市役所の許可が下り次第、教会さんの前の花壇の所に移したい」と。ワー、コンビニが来るのは、便利になり嬉(うれ)しいが、電柱が目の前に来るのはちょっと抵抗が。1カ月教会の皆で熱心に祈りました。
新・祈りのコラム (1)
《執筆者:増田篤子》
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」 エペソ6:18
私達の教会が現会堂を取得した時のこと。それまでのテナントは手狭になっており新会堂の必要は目に見えていました。物件を探し始めていたものの、ふさわしい物件に巡り合えず6年が経ってしまいました。
祈りのコラム (67)
《執筆者:野口 一郎》
大津伝道所もスタートして三年目を迎えています。これまでお祈り下さった全国の教会に兄弟姉妹に感謝をいたします。そしてお祈りにこたえて主がして下さったみわざをほめたたえます。
祈りのコラム (66)
《執筆者:三上 友通》
私のクリスチャンライフ生活を振り返る時、長い時間落ち着いて祈るということが少なくなったことに気付かされた。私の思いを全てご存知であり、言葉で表現できないこと、また心の隅々まで見通しておられる神様とどのように長い時間祈ったらよいか思い悩むこともあった。
祈りのコラム (65)
《執筆者:丸山綾子》
私は、牧会者になってから、特に、アロンとフルの祈りの重要性を思わされ、体験しています。イスラエルとアマレクの戦いは、モーセの祈りにかかっていました。しかし、モーセの手が重くなったために、アロンとフルがモーセをささえ、共に祈りの手を挙げ続けました。