祈りのコラム (64)
《執筆者:野川悦子》
以前参加したセミナーで、「人はどんなに大人になっても子どものように甘えられ、安らげる、ありのままの自分を出せる場所が必要だ」ということを学びました。
祈りのコラム (63)
《執筆者:阿部栄子》
平塚の地に開拓がスタートして、丸十年の月日が流れました。
6月、韓国の梧山里祈祷院において、十年間の感謝とこれからの歩みのために、ひさしぶりの断食祈祷をさせていただきました。
祈りのコラム (62)
《執筆者:寺田文雄》
アルゼンチン・リバイバルの指導者であるエド・シルボソ師は、リバイバルの鍵として「祈りの伝道」を提唱しています。日本においても、かつてのきよめ派の著名な牧師がエペソ書六章より「クリスチャンの最後の戦いは空中戦だ」と語ったと聞きます。
祈りのコラム (61)
《執筆者:稲葉隆子》
昨年、四国の超教派の研修会に導かれて出席いたしました。小さな地方伝道を委ねられた13名の牧師だけの研修会でした。開会の挨拶の後、賛美が捧げられた時に、神様は不思議な情景を観せて下さいました。ロの字に座った諸先生方の顔面に二筋の溝が彫られてありました。涙の溝だと分かりました。その瞬間に胸が熱くなり、涙が溢れました。
祈りのコラム (60)
《執筆者:廣瀬晴代》
主イエスを信じている現在と以前の生活を比べてみる時に、様々に変えられている事があるでしょう。何しろ、罪が赦されて、主イエスの命に生かされているのですから。
祈りのコラム (59)
《執筆者:竹田和則》
西洋に「神さまが人間をお造りになる時に、口を一つ、耳を二つ作ったのは、話すことの二倍だけ聴くためである」ということわざがあります。このことわざの意味するところは明らかですが、何か現代社会の私たちに警告を含めて語られているように思われてなりません。
祈りのコラム (57)
《執筆者:細川るり》
牧師になって四年目のことでした。いつの間にか祈りが義務的になり、祈りの時をただこなしているような自分に気付きました。牧師として、教会員の祝福のため、教会の成長のため、地域の救いのために…と課題を挙げて祈るのですが、何時間祈っても祈った気がしない、神様と自分との間にカーテンでもかかっているような、そんな思いに駆られる毎日でした。いつのまにか祈りが職業的(?)なものになっていました。
祈りのコラム (56)
《執筆者:姜一成》
私たちの教会は、主の導きによって98年3月より兵庫県西宮市の自宅マンションにおいて開拓を始めました。私たちの教会に与えられたミッションは”私たちは求道者たちにキリストの福音を伝え、キリストの献身的な弟子とし、日本と世界の福音化に貢献する”というものです。
祈りのコラム (55)
《執筆者:城之木勝》
ある朝、私は、目が覚めるとともに、全身の気怠さとともにひどいめまいを感じました。熱が、39度近くもあったのです。その日は、水曜日で祈祷会の司会になっていたのでした。休まないといけないかもしれないと思いましたが、まだ夜まで時間があるので、はっきりとした意識のないまま祈りました。
祈りのコラム (54)
《執筆者:生武のぞみ》
「私達が祈るときにはいろいろな状態があると思います。喜びが心の中にいっぱいあるときには、神様に心からの感謝を献げる事ができます。また、問題を抱えているときにはその問題を神様に訴えながら、最善の道を開いてくださることを信じて祈ります。
祈りのコラム (53)
《執筆者:内川高志》
「やっぱり代表の祈りは、修行を積んだ人じゃないとできないんでしょ?」ある信徒さんが、何気なく言った言葉である。「えっ?」と一瞬言葉を失った後で、考えた。