祈りのコラム
祈りのコラム (55)
《執筆者:城之木勝》
ある朝、私は、目が覚めるとともに、全身の気怠さとともにひどいめまいを感じました。熱が、39度近くもあったのです。その日は、水曜日で祈祷会の司会になっていたのでした。休まないといけないかもしれないと思いましたが、まだ夜まで時間があるので、はっきりとした意識のないまま祈りました。
祈りのコラム (54)
《執筆者:生武のぞみ》
「私達が祈るときにはいろいろな状態があると思います。喜びが心の中にいっぱいあるときには、神様に心からの感謝を献げる事ができます。また、問題を抱えているときにはその問題を神様に訴えながら、最善の道を開いてくださることを信じて祈ります。
祈りのコラム (53)
《執筆者:内川高志》
「やっぱり代表の祈りは、修行を積んだ人じゃないとできないんでしょ?」ある信徒さんが、何気なく言った言葉である。「えっ?」と一瞬言葉を失った後で、考えた。
祈りのコラム (52)
《執筆者:柏崎久雄》
千葉に来た年は寒い冬でした。信仰による確信はあったのですが、50件以上不動産屋を探して、やっと契約した店舗付き住宅は、教会用の場所が殆どで、親子三人荷物に狭まれ二畳くらいの隙間に寒さに震えながら寝ていました。毎日、長男を自転車の荷台に乗せてトラクトを配りながら、集まっても救われない人々に悲嘆に暮れていました。
祈りのコラム (51)
《執筆者:小泉智》
人吉教会で昨年一月から始めたことがあります。それは、毎週一教会ずつアッセンブリー教会のために覚えて祈り、一ヶ国ずつ世界の国々のために覚えて祈るというものです。地方都市に住んでいるとどうしても世界観が狭くなりがちです。世界宣教の一環としての人吉宣教という視点が希薄になります。この現状をなんとか打破したくてこの企画を始めました
祈りのコラム (50)
《執筆者:柴田良子》
私たちが救われるために、またクリスチャンとして歩む中で、どれほど多くの人に祈られて来たでしょうか。所属教会の牧師や兄弟姉妹など、自分の知らない所で自分のために祈り続けられている事を知ると、本当に感激します。そして自分の事を覚え、絶えず祈り続けてくれる人がいる、というのは、何と心強いことでしょうか。
祈りのコラム (47)
《執筆者:レイモンド・カールソン》 ある年輩の外科医が牧師から「手がきかなくなくなる時を心配したことはありませんか」と聞かれた。彼はちょっと考えてから「それはありませんね。でも正直のところ心の方が患者さんの痛みを感じなくなる日が来るのでは、と心配することはよくあります」と答えたという。
祈りのコラム (46)
《執筆者:上原和雄》わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。」(2テモテ2:13) 1983年、私たちはとらの子の旧会堂用地を売却して新しい会堂用地を八王子市内に物色していた。1億5千万円という大金を銀行に預金したままの土地探しだった。
祈りのコラム (45)
《執筆者:川上良明》仙台から車で40分、山形にむかう途中に川崎町がある。釜房ダムから蔵王をながめる景色は大変美しい。人口おおよそ一万人ほどの町に川崎伝道所がある。かつて天理教など神道系宗教を信仰していたグループの指導者が、十数年前、突然、キリスト教に改宗した。
祈りのコラム (44)
《執筆者:ロバート・アシュクロフト》 神の働きに必要なのは聖なる情熱である。情然の火はあなたの骨に、心に、頭に燃えていなければならない。ひとたびあなたの霊と魂と体の全体がきよい熱心さと霊的情燃に燃え上がるならば、あなたの働きをさまたげるものは何もない。