祈りのコラム
祈りのコラム (42)
《執筆者:池原吉治》私は、祈らないクリスチャンを長くしていたため、祈りの習慣が身に付いていなかった. 自ら教師となって開拓に遣わされて、祈るしかない事を痛切に教えられ、又、確かに主は祈るならば聞いてくださる御方であることを体験させていただいて、祈ることの楽しさを実感している。
祈りのコラム (41)
《執筆者:篠塚俊男》二人の女の子が、馬に餌を食べさせていました。一人の女の子は、一本のわらの両端を両手で取り、恐れることなく上手にあげていました.もう一人の女の子は、片手でわらを取り、恐る恐る馬のロに近づけていました。上手に食べさせていた子は、乗馬クラブのインストラクターの娘であり、常日頃から馬に接し餌をあげていたのでした。年齢はわずか二歳です。
祈りのコラム (40)
《執筆者:五島靖子》かつて、キリストを否定する宗教カルトに入っていたことがある。そこでは、「恵み深い御在天のお父様」に始まり、長々とことば数の多い、飾りたてた祈りをしていた。けなげな子どもが、しきりにお父さんのご機鎌を伺うような祈りだった。
祈りのコラム (39)
《執筆者:三箇義生》パウロはコロサイの教会にたゆみなく祈りなさいと勧めています。それと同時に自分の福音宣教の働きにおいて宣教の門が開かれるように祈って欲しいととりなしの祈りを頼んでいます。パウロはたゆみない祈りが教会にとっても、福音宣教においても重要なものであることを知っていました。
祈りのコラム (38)
《執筆者:高木攻一》今年は入ってある晩のこと、教会としてのビジョンは何にするべきかと祈りつつ思い定めているうちに、「そうだ。松任市の人口が6万人を記録したというのだから、その一割にあたる6千人が救われることだ。」そう結論することになってしまった。
祈りのコラム (37)
《執筆者:内村保》「てんのかみさま、このおいしいごはんをかんしゃしていただきます。11がつまでに60めいがすくわれますように。おじいちゃんのびょうきをなおしてください。ひろとにいちゃんのかぞくがイエスさまをしんじますように。イエスさまのおなまえによっておいのりします。アーメン。」 小学校一年生になる息子の食前の祈りである。
祈りのコラム (36)
《執筆者:安東聖樹》私にとって5年ぶりの韓国だった。
神学校に入学する前、献身についての明確な確信がいただきたくオサンリの祈祷院で祈ったことを思い出す。その時の祈りが献身を決意するひとつの節目であった。
祈りのコラム (35)
《執筆者:瀬古慎二》「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださる。」(1ヨハネ5:14)とありますが、これこそ私達が祈っていくなかで励ましとなり確信となるものです。もし私達がどんなに祈ってもその祈りが聞かれないとするなら私達はすぐに意気消沈してしまうことでしょう。しかし神様は私達の祈りを聞いて下さるお方なのです。
祈りのコラム (34)
《執筆者:前川圭司》「おじいちゃん、こけて足を打って痛いからお祈りして」、「天の神様、和也がこけて膝を打って痛いですから、イエス様の力で早く治して下さい。イ工ス様のお名前によってお祈りします。アーメン」。彼はニッコリ笑ってまた表に駆け出して行きました。
祈りのコラム (33)
《執筆者:井野正人》このところ数ヵ月の間、祈りと情報について考えさせられることが続いた。身近の人々が病に冒されたからである。
そこで、問題になったのは、病状をどこまで皆に知らせる必要があるかどうかである。
祈りのコラム (32)
《執筆者:竹中通雄》「ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです」。(マタイ18:20)
1964年1月、17歳の時、高知の教会で洗礼を受け「大感激」した私は、家族・親族・町ゆく人など手当たり次第に教いの喜びを伝えたものでした。